zunra’s diary

すぐ変わる街の風景を残す為のブログだったけど、コロナでどこも行けないので思う事を綴ってます

萩中公園

大鳥居駅から萩中公園まで歩いたけれど、子供の頃、30年前の記憶からすると驚くほど近かった。30年経って大人の足出歩くと、距離感がまるで違う。

学校の25メートルプールを見て小さく感じるように、街全体が小さくなった感じがする。もしかすると、仏様の掌を行ったり来たりしているだけかもしれないと思う。

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萩中公園の入り口付近にあったバッテイングセンターはもう無くなっていた。

隣接する駄菓子屋にはアーケードゲームが何台かあって魔界村をよくやっていた。当時は駄菓子屋にゲームはセットだった。子供もいっぱいいた。今は駄菓子屋も子供も見当たらない。閑静な住宅街になっている。

 

公園内にレストランが出来ていた。

その先に機関車があり、トラックや船が置かれている。当時は大きな砂場にトラックや船が置かれていたが砂場は硬い地面になっていて配置も変わり台数も少ない気がした。

 

大鳥居駅の交差点。産業道路と環八が交わっている

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萩中公園
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機関車は運転席まで入ることができる
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萩中公園の名物は赤い巨大すべり台だったが、それも無くなった。10人ぐらい横1列になって滑る事が出来る幅の広いすべり台だ。駆け上がったり、落としあったり、安全面を考慮するとこの時代にそぐわなかったのかと思う。怪我人も出たのかも知れない。

 

大きな山が2つあり、そこをワイヤーで渡れるようになっている遊具はまだあった。

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山の斜面を登ったり、滑り降りたりした。下は砂場になっている。

砂場の向こうに見える「HAGINAKA PARK」のオブジェ、30年間、記憶の中に眠ってた。見たら、アレは、あーっ!と脳内で電流が流れた。

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萩中公園は半分は交通公園になっていて、友達と園内の道路でレースして、おじさんのボランティアスタッフにとてもとても怒られた。

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あったような、なかったような、人工の川が流れていた。そして石畳の広場が出来ていた。30年前はなかったと思う。

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あと、萩中公園といえば隣接されたプールなのだが、盗撮と間違われては困るので写真は撮らなかった。

 

中に大きなウォータースライダーが出来ていた。大分変わってた。

子供のころは浅い子供用のプールと深い大人用のプールがあって、平泳ぎする父親の背中に乗って恐々入った。

 

父親はもうおじいちゃんになってしまったけれど、しっかり覚えているから、自分も子供を背中に乗っけて泳いであげるようにしている。

 

あと、この公園から、糀谷のダイエーに行くときに、転校した「マサオ」という友達に会って、声を掛けたら無視された記憶がフラッシュバックした。

 

マサオは姉の自転車の後ろに乗ってて、声をかけたらそっぽを向いて、こちらを頑なに見なかった。マサオの姉が後ろに座るマサオに「呼んでるよ」と声を掛けてくれたが、マサオは絶対にこちらを向かなかった。

 

マサオの家は貧乏で、お風呂はあるけど使われていないと言っていた。風呂場にゴキブリとテントウムシがいっぱいいるんだと言っていた。

 

一度家に遊びに行ったことがあるけど、風呂場は見せてもらえなかった。ホントは無かったのかも知れない。映画の「万引き家族」に出てくる家が酷似している。あんな家だった。

 

マサオは生臭い匂いがした。はっきりと覚えている。刺激臭、とまではいかないが、貧乏の匂いがしていた。雑巾の匂いでも無く、汚物の匂いでも無く、生臭い海の魚に似た匂いがした。

多分、見下してしまっていた。一緒に遊んだりしたけど、何処か貧しさを見下していた。

 

マサオの家で、鉛筆削りを見て、凄く小さくて、

「お前んち、貧乏なの?」

と聞いた。

「大きなのがあったけど、猫が壊した。」

と言っていた。

「嘘つけ。」

と言って笑った。

あざ笑ったと言うのが正しい。

 

その後、マサオは転校した。

転校の時、鉛筆とか、ちょっとした文房具をクラスメイトに配る慣習があったけど、マサオは配らなかった。配れなかったんだと思う。

 

その転校したマサオが現れたのだ。だから、友達ヅラして声をかけた。

 

マサオに無視されたのは当然だと思う。今思うと自分が情けない。マサオが何か悪い事をしたのか。静かな奴だった。怒りもしないし、喧嘩をしている姿も見たことなかった。ただ、貧乏に巻き込まれて生まれてしまっただけだ。

 

そんな男が振り向いてくれなくなった。恨みや怒りを感じた。向こうを見ているマサオの顔はどんなだったか、そう思うと怖い。

 

人はいけないと分かっていても、結局下を探して見下し、あざ笑い、恨みが生まれる。気が付いたら自分もそうだった。

 

マサオの姉も自転車の速度をまた直ぐに上げて行ってしまった。

 

マサオとはそれが最後でもう会ってない。