子供が産まれた時、自分は子供の指を数えた。5本、ちゃんとある事を確認してホッとした。無意識だった。その事は家族にも言ってない。障害者を差別する事なく、偏見も無く生きているつもりでいたが、化けの皮が剥がれたと言うか、子供が五体満足という状態に執着してる自分に気付いた。
自分は差別や偏見無く生きているフリをしているのだと思う。車椅子の人、目の見えない人、手足が無い人など、パラリンピックで戦っている人に対して、かっこいいと思うと同時に、心の片隅で可哀想と思ってしまっている。自分や子供が障害を負うのは嫌だと思ってしまっている。
パラリンピアンは障害を負っても自分の輝ける場所を見つけて戦っている。大きな障害を負って、自分はあんなに戦えるだろうか。
自信がない。自殺する可能性も多いにある。
障害者を決して見下してはならないし、そんな事はしたくはないけれど、パラリンピアンは障害を負った時の希望だと思う。なんて言うか、偉人に見えて、ああいう偉人がいなかったら自分の様な人間は生きられない程弱い。
閉幕してしまったパラリンピックで色んな事が頭によぎった。
ありがとうパラリンピック!