萩中公園から大鳥居や東糀谷周辺の動画 2025/11/24(月)
数年ぶりに東京都大田区東糀谷へ行ってみたところ、大変な事になっていて、かなりショックを受けました。
京急線で大鳥居駅に朝6時頃に到着しました。蒲田から京急バスはまだ動いておらず、仕方なく京急蒲田駅から電車で大鳥居駅まで行きました。
大鳥居の商店街を人がいないうちに歩こうと思ってましたが、ぱっと見、35年前の面影はなく、すかいらーくも勿論無くなって駅を出てからの方向感覚が狂ってしまいました。何処を歩いているか分からなくて、気が付いたら萩中公園が見えて来て嬉しくなりました。やっと地に足が着いた感じがしました。
京急線大鳥居駅の交差点から昔駅が地上にあった場所を通り萩中公園を歩いたのだとようやく分かりました。朝早かったので交通公園の乗り物は出ておらず、道路を横切って歩けました。
「HAGINAKA PARK」のモニュメントで締めくくっております。このモニュメントは少なくとも35年前には存在しておりました。
↓Youtube動画はこちらから観られます。
https://youtu.be/VpSzt3KbGpY?si=PBq169Vk3Gi-GGwU
↑京急線大鳥居交差点から萩中公園
萩中公園を出て大鳥居交差点を渡り大鳥居商店街を周りました。宝湯は現存していて嬉しかったです。
大鳥居商店街のトタン屋根の市場の様な部分は全て無くなってます。朝なので閉まっているお店が多いですが、まだ商店街は健在です。
↓Youtube動画はこちらからです。
https://youtu.be/HN4Kyfb6HfI?si=S7E9AB49GiFLjmBB
↑大鳥居商店街(萩中公園から大鳥居商店街)
大鳥居商店街を撮り終えてから南前堀公園を通過しました。
35年前にあった人工の川と池には水は無く、特に池の所は土で埋められてしまってます。残念ですが池でヤゴを取っていた頃の面影があるだけありがたいです。
自転車道と遊歩道があり、今回は遊歩道を歩きました。子供の頃は広い場所だったのに大人になって歩くとすぐに端から端まで歩けました。
遊具も変わってましたが配置は当時とあまり変わらずに残っています。
https://youtu.be/44CoDtg1xO4?si=H5dlVX6CBrjEjJgM
↑南前堀公園 大田区東糀谷
南前堀公園からスクラップ工場を左手に見ながらグラウンドに入ろうと思ったのですが、グラウンドは無くて新しい団地が2棟建ってました。
自分が住んでいた5号棟と4号棟とゾウさん公園がフェンスで囲まれてて取り壊されているのがフェンスの隙間からみえました。ショック過ぎて壊されている建物が何かを理解するのに時間がかかりました。
2号棟はフェンスで囲まれてたのですがまだ外から建物が見えました。
1号棟と7号棟はまだ住人の方々もおられました。
急に言われても仕方ないですが、ここに住んでいた人は早く見に行った方がいいと思いましす。
https://youtu.be/LhnVF65PUPU?si=DxfFWfymkrKbYDxZ
↑東糀谷6丁目団地 都営住宅
2号棟と1号棟と羽田中学校の間の道から1号棟下の店舗が並んでいた辺りを撮りました。
35年前は薬局、いよや、イソップ、酒屋、文房具屋、肉屋、ラーメン屋の順で並んでいて、イソップはシャッターが降りていることが多かったと記憶してます。
現状は全てシャッターが降りていて、レンタルスペースとして使われているような所もあります。
https://youtu.be/Q5iKKX4CerM?si=uohfRwARPhS0M5rn
↑東糀谷6丁目 羽田中学校から1号棟下の店舗
羽田中学校前を通り海老取川へ行きました。ここでハゼ釣りを楽しみましたが、撮影時は誰もおらず、奥の堤防の曲がり角には柵が出来ていて北前堀公園へは行けなくなっていました。
堤防も船着場になっていて北前堀の船着場がこちらに移転したようです。
南前堀も高速道路の下が埋め立てられていて、あの頃のハゼ釣りしたりカニや手長海老を取ったスポットは消滅してました。
対岸を走る東京モノレールを少しだけ撮ることが出来ました。
朝早くに行ったのですが潮が満ちていてゴカイを取ったり漂着物で遊んだりは出来なかったです。子供の頃に大きな骨が流れ着いているのを見付けて「人骨だ!」と言って兄と騒いだりしたのを思い出しました。
https://youtu.be/qDCz9aSZpkY?si=c68IX_Fd-M9U22Yl
↑羽田中学校から海老取川
北前堀緑地を歩きました。途中で東糀谷小学校とみやこという駄菓子屋さんを通りましたが、みやこはシャッターがしまっていて、今は営業してないようでした。
https://youtu.be/PXbfpmGJv-A?si=up04DIzrJpkxIObe
↑北前堀緑地 東糀谷小学校
以上7本の動画を撮りました。
糀谷駅で降りて青い鳥ビルを撮ろうと思ったのですが、電車の車窓からセブンイレブンに変わっているのが見えてしまって、疲れと精神的なショックで降りるのを断念してしまいました。折角行ったのですがもう耐えられず、申し訳無いです。
家に帰ったら両方の靴下に穴が空いていて、結構歩いたのだと気が付きました。
また機会があればとも思う反面、次に行った時には全く違う街になっていると思うと、俺は泣いてしまいそうです。
5号棟のカケラを柵を越えてこっそり持って帰れば良かったとちょっと後悔してます。
春日部に住んでいる年老いた父と母にこの動画を見せたら大層喜んでくれました。もうあまり歩けない二人なので、ちょっと一緒に行く事は叶わないけれど動画を観ながら話していると子供の頃に戻って散歩している気分になれました。それにしてもいっぱい歩いた。あっちもこっちも観たくてドラマを一気見したぐらい充実した。








15年ぶりのグアム 2023/8/11-15

(最後の方に写真を載せてます。文章が長くなったので写真だけでもお楽しみください。
動画も撮ってYOUTUBE に上げてます。)
・グアムの様子
https://youtu.be/F678iyO1-68?si=-7bPm1YJZ3S5n2kI
・飛行機、空港の様子
https://youtu.be/Rn_AVZcI5Ng?si=UgFhU4cqaXbU4f8g
https://youtu.be/ecdDYIpdJx0?si=IwbSEroPiNuQziGI
https://youtu.be/I5vUP36dT70?si=mybTUhLT8jxdsZev
https://youtu.be/7-hMHTm5Iwc?si=xSVpCoYcE061oB-c
https://youtu.be/TcFFiannzs4?si=dOY841gzBqLeQUB9
コロナがようやく収束したのでグアムに行くことが出来た。ワクチンの接種証明などは今年(2023年)の5月から不要になった。ただ、お盆の時期なのでだいぶ割高だったそうだが、妻がその辺は契約してくれて、自分は付いて行くだけのグアム旅行だった。
家族の中で自分だけ15年前に一度グアムには行ったことがあった。その時は華やかで人(特に日本人)が多く、スーパーも高級ブランド店も飲食店も賑やかだった。凄くカラフルな街で、しかも初の海外に自分はとても高揚した。
だが、今回は様子が明らかに違っていた。まず、人が少なかった。観光客も現地の人も、道ですれ違う人数が疎らだった。空港からのバスガイドさんの話では住民は2万人ほど本土やハワイに人が流出したとのことだった。
あと、コロナのせいで建設中のドンキホーテが未だ建設中で、バスガイドさんはそれを待ち望んでいた。現地に住む邦人の楽しみなのだそうだ。ちなみに、現地の人々はホームデポと言うスーパーによく買い物に行きKマートは高いのであまり行かなくなったとも言っていた。
タモン地区を歩くと、道路に面したお店でも閉まっていることが多く、最初は改装中なのかなと思っていたが、街を歩いているうちにそれがコロナで閉店してしまった店だと気がついた。剥がれた看板や廃墟のようになった建物、舗装がガタガタの道路がコロナ後間もなくのグアムには本当に当たり前のようにあった。
15年前あったマクドナルドがどこを探しても無くて、子供にアメリカのマックのLサイズの大きさを体験させてあげたかったが、叶わなかった。なんだか本当にここがグアムなのかと疑いたくなっていた。
オオサカ、と言うコンビニの様な商店があって、15年前に来た時、店主のおじさん良くしてくれた。関西弁でレンタカーやオプショナルツアーを格安で紹介してくれて、また会えたらと思って探したが、残念ながら見つからなかった。

多分、この桜坂というマッサージ店がオオサカのあった場所では無いかと思ったけど、15年前の朧げな記憶なのでなんとも言えない。
本当に実在したかも微妙なモヤモヤした気持ちになった。
正直、円安と物価高であまり贅沢は出来なかった。ある有名店のチョコパフェが1つ15ドル(二千円)して家族みんなで食べようと思ったけれど自分は我慢して、みんなの余りをもらった。パフェでお腹を満たしてお昼ご飯にした。飲食店はやっていなかったり、営業時間が短かったり、高かったりで、まだコロナ後間もないので安くて美味しい店はあまり見つけられなかった。
ただ、家族はみんな楽しんでくれていた。初の家族海外旅行で、スーパーでカップラーメンを買うだけでも英語で受け答えしてドルを使う事が良い経験になったらしい。ガンガン子供が英語を使っていたのには驚かされた。
ペイレスというスーパーが泊まった星野リゾートホテルの近くにあってそこでご飯などをよく買った。20ドルでパン一斤とハムとチーズとジュースを買ってホテルのプールサイドでサンドイッチを作って食べたりした。4人で飲食店に入ったら50ドルではまず済まないので大分節約出来たし楽しめた。
ただ、ちょっと危なかったのが交差点、グアムの信号で、今思い出しても冷や汗が出る。グアムの信号は押しボタン式で、しかもめちゃくちゃ待たされる。地元の人は結構な割合で信号無視して上手いタイミングで渡るのだけれど、自分達は轢かれそうになって本当に怖い思いをした。多分、歩行者優先が日本ほど浸透してないのだと思う。ルールを守らないヤツは許さないと言わんばかりに思いっきり突っ込んで来た。子供が轢かれる寸前で右折してきた車が止まった。アレは本当に怖かった。我々家族はそれ以来、信号を何分待たされようとも無視する事はなかったのだった。
グアムは屋内がまあ兎に角寒かった。スーパー、ショッピングモール、ホテル、室内がキンキンに冷えていた。多分、キンキン🟰最上のもてなし、と思っているのだと思う。旅慣れた人達は上着や長ズボンを用意していた。自分は半袖、短パンしか無くてとにかく寒さに悩まされた。飛行機の中から寒かったのでラッシュガードでも良いので一枚羽織るものを持っていれば良かったと後悔した。昔は旅先のスーパーで買って着ればいいと思っていたが、無理をしての家族海外だったので無駄遣いも出来ず、そこは頑張って耐え凌いだ。
コロナの影響でホテルで予約出来るオプショナルツアーがほとんど無かった。タロフォフォの滝や横井洞窟などグアム南部のジャンクを楽しむツアーはまだ復活してなかった。ダイビングやエステ、サーカス、ディナーショーがチラホラと復活していた。自分達はフィッシュアイというレストランのディナーショーを見た。ビュッフェで食べ物、飲み物、デザートを選んでチャモロ族のダンスを見た。客席まで来て太鼓を叩かせくれて楽しい時間を過ごせた。ファイアーダンスも迫力があった。
泊まったホテルは星野リゾートリゾナーレでプライベートビーチとウォータースライダーや巨大滑り台があるプールが利用し放題で1日遊ぶ事が出来た。



8月はグアムは雨季なので空はずっと曇りだった。ペイレスに夕方買い物に行ったらスコールのような土砂降りにあって大変だった。濡れたままお店に入ると中はキンキンに冷えていて初の海外で風邪を引くかと思った。
星野リゾートには洗濯機や乾燥機があるので妻に洗濯機&乾燥してもらった。ただ、靴だけは生乾きのまま過ごす事になり、臭くなってしまった。ビーチサンダルを持っていきそれで過ごせば良かった。
最終日はホテルに14時頃にお迎えが来るので、午前中はランランバスでタモン地区に行き最後の観光をした。ただ、ご飯を食べて帰ろうとした時にバスが全然来なくて、出来るだけホテルの近くのバス停まで行こうと歩いていたらバスに追い抜かれてしまった。そのままバスには乗れずに歩いてホテルまで行くには距離があった。仕方なくタクシーを停めようとしたが手を挙げても全然停らなかった。
結局、近くのホテルに入ってタクシーを呼んでもらった。そこのホテルの客では無かったがフロントの方がタクシーを呼んでくれた。10分ぐらいの道のりで26ドル。タクシー運転手は帰り際の我々に「ここのビーチが綺麗だ」と教えてくれた。ちょっと高かったけど、タクシーも少し使うとのも良いなと思った。

ベンチが座席のランランバス
吊り革が革の部分だけだった。
Kマートは小さなコストコの様だったが、結構高いなという印象がある。





紫ラベルのコーラはドクターペッパーでアメリカ限定テイストでは無いので要注意。
日本のカップルメンなどは輸送コストもあってかなり割高。
消防服がスーパーにあった。


タバコは1,500円ぐらい。
自販機は殆ど無いがスーパーにあった。
お金を入れても出て来て、買い方は分からなかった。

落ち葉が椰子の葉なのでデカい。

星野リゾートのプールとプライベートビーチ。奥の島まで歩いて行けて魚も珊瑚もいっぱい。
アクアシューズが無いと足を切るので注意。
フィッシュアイのディナーショーは最高。

雨の中、犬を連れて道路を渡る人がいた。
信号が変わらないのでこういう人は多い。
日本では見ないトヨタのタコマがよく走っていたのが不思議だった。
恋人岬。売店は空いていたがレストランはやっていなかった。

ランランバスで行けるコース。
中華リーガーデンは10〜15ドルぐらいで2皿頼めば3〜4人で楽しめる。
ホテルからの眺め、街を一望できた。
Kマートのフードコーナー。
10ドルのピザが大きくて驚いた。
ツインリンクもてぎ(正式にはモビリティリゾートもてぎ)
今年も夏休みにツインリンクもてぎに家族で行けた。4年連続で行けたのはとても幸せだと思う。MOTO RACER(モトレーサー)という電動バイクのレースに子供達がはまり、毎年、「来年も来ようね。」
と名残惜しそうに言うので、ここに来ることが毎年の恒例行事となっている。
自分はホンダの株を買って株主優待券までもらっている。
家族でモトレーサーをやって、スタッフの皆さんが記録を褒めてくれたり、アドバイスをくれたり、凄く親切なので本当に楽しい練習場だ。
一番下の子は4年前は初心者の練習コースでかなり長く練習させて頂いて、スタッフの方も電動バイクを乗れるようになるまで付き合ってくれた。そんな子がその日の最速レコードを記録するまでになった。楽しむだけじゃなくて成長を感じられるテーマパークだ。
身長制限のあるアトラクションもこの4年で140センチを超えてみんな乗れるようになった。子供達はチャレンジカートという別料金だけど結構本格的なカートに乗ったりして満足していた。自分はそのカートの迫力に少しびびってしまった。
ツインリンクもてぎにはハローウッズという森の中を散策してアスレチックや昆虫採集ができるエリアもあり、大人の自分も楽しめた。木に止まるカブトムシを見て童心に還れた。子供達はフィッシャーズの宝探しの謎解きイベントで森の中を走り回っていた。自分にはそこまでの元気は無くてヘトヘトだった。謎を解いてリストバンドをもらったら奇跡的に家族全員が赤だった。6色ぐらいあるのに全部赤で、まあ、取り合いにならずに良かった。
夜はキャンプビレッジのログキャビンに泊まった。ちょっと歩いた所のホテルの大浴場も使えて,バーベキューも出来て、バーベキューコンロも借りれるので至れりつくせりだった。水場はお湯が出るし、トイレはウォシュレットだし、ビギナーでも全く問題無し。
翌日も朝から炭火で焼いたパンを食べて大浴場に行ってモトレーサーに直行した。モトレーサーは午前中が空いてるのでとにかくダッシュさせられる。2日目になると大分疲れが溜まっているので、他のアトラクションも回って昼過ぎからキッチンカーで色々食べたり、お土産コーナーを見たりのんびり過ごした。
多分、疲れた親達の事を考えて作られたと思うのだか、巨大ネットの森SUMIKAというアトラクションにヨギボーのクッションがいっぱいあってごろんと寝られるエリアがある。40分入れ替え制のエリアなので一眠りするにはちょうど良くて、とても助かる。
今年もいっぱい楽しませてもらったけど、子供達は体が大きくなりモトレーサーの自己ベストは更新出来なかった。身体が軽い方がタイムが出やすい。
「もう限界なのかな。」
と呟いていた。
さすがに4年連続なので、来年はどうしようか、優待券を小学生のいる親戚に譲ろうかと考えている。遊園地で遊ぶ事から一歩進んだ体験をさせてあげられるからツインリンクもてぎはうちの子達の成長を後押ししてくれたなと感謝している。周りの身体を動かす事が好きな子や乗り物好きな子に勧めてみようと思う。

本格的なチャレンジカート

ハローウッズで見かけるカブトムシ

サーキットが一望出来るが、大き過ぎて何処までかよく分からない

モトレーサーは多分一番人気のアトラクションで大人から自転車にやっと乗れるぐらいの子供まで乗れて、体重の軽い子供の方が慣れると断然速い。
↑YouTube チャンネルに動画を上げました。サーキットの練習風景を観客席から撮りました。
また来られると良いな。
山口にて、その2
もう、自分の世代ではなく、今は子供達が主役になった。寂しさよりも嬉しさがあるなぁと思う。
従兄弟の子と自分の子が話をして、会って1日で下の名前で呼び合っている。年上の子が色々教えたり、面倒見たり、自分達の昔の姿をそこに見ている。下の子は遊んでもらって凄く嬉しそうだった。
昔、従兄弟の中で一番年下だった自分も今思うと色々教えてもらったり面倒見てもらっていた。こんな感じだったのだろう。と今の子どもたちを見て感慨深かった。
子供達が腕相撲をして遊んでいて、下の子が負けて泣いた。でも、もう一回を繰り返して、上の子が疲れて負けて下の子が大喜びした。何だか気を使ってくれるようになって、成長を感じた。
自分が下の子の時は泣きじゃくったら疲れて寝るまで泣いて手がつけられなかったし、自分でも気持ちを立て直せなかった。下の子も偉いなと思った。コウモリが逃げた時とか、まさにそれだった。
みんなで花火をやった時は、一本ずつ花火を配っていたが、真ん中の子が最後の一本を取った時、一番下の子にサッと渡した。取り合って喧嘩したりしても、まぁ良い思い出になるけど、みんな成長していると思った。
子供達はあまり虫採りには行かなかった。オオスズメバチとか採りに行ったら大変だけど、昆虫採取の方法やカブトムシスポットを伝授できたら良かった。
次に会えるのはいつか、ちょっと分からないけど、また会えたらいいなと思う夏休みだった。
仕事や家庭で、自分の人生はハッキリ言って上手くいってないなと、今悩んでいるけれど、それでも頑張って何とか耐えられているのは、昔山口で自由に外を走り回り、陽の光を浴びて、汗をかき、真っ黒に日焼けし、スイカを食べて、虫採りして、本当に人生を充実させた時間があったからだと思う。あの頃に生かされている今の自分がいる。子供の頃は戻ってはこないけど、何とか思い出したり、忘れないように話したり書いたりしながら人生を過ごしたい。と、ちょっと大それた事を考えたりしている。

↑羽田空港

↑踏切とオレンジのガードレールと茶色の瓦の家
↑帰りに乗った新幹線のホームから撮った新山口駅がとても大きく感じたので、動画で撮りました。
山口にて
2022年8月6日、羽田から飛行機で山口宇部に行った。宇部は母の実家で、もう15年も行っていなかった。夏休みもそんなに長く取れず、山口は遠く、なかなか足を運べなかった。本当は毎年行きたいと思っていた。
小学生のころ、両親は毎年夏休みは山口に連れて行ってくれていた。それがどれだけ大変かなど、自分は知る由もなかった。今になって、飛行機、新幹線、宿、食事、観光、移動手段などなど、めちゃくちゃ大変だったと気付いた。それで結局、自分達で行くのに15年もかかってしまった。結局従兄弟や叔父さん叔母さんが宿やレンタカー、秋芳洞への手配をみんなやってくれて、自分達は行くだけで良い状態にしてもらっちゃって、感謝で涙が出た。お昼の代金は誰が出してくれたのか、ちょっと申し訳ない。
なかなか行けないにしても甘え過ぎてしまった。
自分は虫採りがとにかく好きで、カブトムシやクワガタを採って飼ったり、大田区東糀谷の団地では見られないオニヤンマやカミキリムシ、巨大なキリギリスを標本にした。今思うと、殺してしまうのは可哀想だが、当時はクラスのみんなや学校の先生に見せたくて、罪の意識があまり無かった。挙句の果てにはオオスズメバチまで標本にした。結構命懸けだけど、みんなに見せたい思いがそれほど強かった。
標本を作って学校の廊下に展示されると人が集まったが、女子は口を聞いてくれなくなって、ちょっと期待と違った反応でがっかりした。
山口では従兄弟がいつも虫採りに付き合ってくれた。自転車借りて、大きな川を越えて、山を登り、カブトムシスポットを巡った。木を蹴ったらボトボトっと音がして、カブトムシやクワガタが落ちて来た。あと、木の下の土を手で掘るとコクワガタのメスに指を挟まれて、力強くて凄く痛かった。木の隙間をドライバーやピンセットでほじってヒラタクワガタなどの平べったいタイプのクワガタも良く捕まえた。
親戚の家で過ごす夏休みは真夏の大冒険だった。
そんな夏休みのある日、叔父さんがコウモリをくれた事があった。みんな忘れていたけれど、自分は克明に記憶している。デザートを入れるような小さな白いタッパの蓋が、多分ライターで炙って大きめの穴が開けられていた。叔父さんが笑顔で小学校低学年の自分にそれを渡してくれた。カブトムシだと思って中を除くと黒くて蠢く生き物がいた。穴が大きめだったので、そこから覗き込んだ。小さな目のコウモリがいた。
居間に行って絨毯の上に出してもあまり暴れなかった。少し弱っていたのかもしれない。近所て見つけたアシナガバチの巣が丁度虫かごにあって、蜂の子をコウモリに与えたら凄くよく食べた。
そして事件は起こった。
コウモリは蜂の子を食べて元気になり、いきなり暴れて飛んだ。居間の大きな窓が5センチぐらい空いていて、その隙間目がけて飛んだ。羽根を広げると20センチ近くあったが、窓にぶつかる瞬間に羽根を縦にしてすり抜けて、川の向こうの山まで飛び去った。トップガンみたいだった。
一瞬の出来事だった。取り返しの付かないことをしてしまった。誰が最後に窓を開けたかと言って暴れた。多分、自分だと思う。ショックで泣きじゃくって、疲れて眠った。
コウモリの超音波は優れたソナーだと知った。
その後、中学一年の時に祖父が亡くなり、その時、初めて冬の山口に行った。水遊びをしたり、タイコウチを捕まえた川には昆虫がいる気配は無かったが釣りをして楽しんだ。従兄弟、兄、自分の3人で釣りに行った。大量ではなかったが何匹か釣れた。
近所の人がいっぱい来てお葬式の手伝いをしてくれていた。山口はご近所の繋がりが強いなと感じた。自分は知らない人がいっぱいでちょっと困ったが母親の名前を出すと直ぐにみんな自分が東京から来た子だね、と分かってくれた。当時はすでに春日部に引っ越していたけど、わかりやすかったから良しとして、ハイと言っていた。
その後はもう、大分ご無沙汰してしまった。大学を出て就職前(9年ぶり)と結婚の報告で妻と(さらに7年ぶり)に行った。そして今回は結婚の報告から15年も経っていた。自分も40代半ばである事を考えると死ぬまでにあと何回も行けないと変な逆算をしたりした。
15年ぶりと分かったのは前に来た時に姪っ子とタイムカプセルを埋めていたからで、2007年10月と日付が書かれていた。書いた姪っ子も大人になっていて、自分はもうおじさんになってしまった。
大きくなったらブランド物のバッグか時計を買ってあげると書いていたけど、財力が、、、あまり多くないお小遣いをあげるだけで精一杯だった。15年ぶりなのに、もっといっぱいあげられたらなぁと、ちょっと情けなかった。
就職の前に山口に行った時、叔父さんが帰り際に3万円くれて、自分はそのお金でテレビを買ったのを思い出した。もう地デジ対応もしてないので使えないけど、何だか捨てられなくて押し入れの奥に取ってある。あの3万円は助かった。姪っ子が就職する際はそれぐらい渡したい…。
ちょっと長くなってしまったので、一旦ここまで。
読んでくれた皆様、ありがとうございました。

↑左の山までコウモリは飛んでった。

↑お宮へ続く道。

セミ採りをしたお宮

秋吉台の駐車場の料金回収箱




朝焼けの宇部駅
電子レンジが壊れたら

2005年製の電子レンジが突然止まり、動かなくなった。
17年間よく働いてくれたけど、突然動かなくなると、結構パニックに陥った。
電子レンジのない生活を中学生ぐらいまではごくごく当たり前に送っていたのに、今では考えられなくなっていた。
子どもの頃、電子レンジは無かった。中学生になりようやくうちに電子レンジがやって来た。そもそも、あまり中学生が欲しがる家電でもないので、来た日のことは全く覚えていない。来るまで食べ物をどうやって温めていたかも記憶にない。
一人暮らしをするようになり、電子レンジの凄さを思い知り、17年間当たり前に使い、ありがたみも忘れてしまっていた。
失って初めてそのありがたさを思い出させてくれた。


これが壊れたせいで、朝昼ご飯の準備も出来ず、夏休みに家にいる子どもにマックに行ってもらって何とかしのいだ。
エアコン、冷蔵庫、洗濯機、電子レンジと順番に壊れている。
次は、炊飯器が怪しい。
温暖化を体感して怖くてたまらない
自分が子どもの頃、30℃を超えると
「夏が来た〜!」
と、虫取りが出来るので喜んでいた。嬉しかった。夏は一番好きな季節だった。
自分も歳を取り40半ばになった。30℃が夏の基準値だったのはもう40年近く前なのだと思うと、温暖化と歳取った自分にゾッとする。
2022年現在、6/25だと言うのに
伊勢崎40.2
桐生39.8
館林39.4
青梅38.5
八王子38.1
40年前の自分はどう思うだろうか。体温を超えている連日の猛暑が6月から始まっている。
危険な気温、危険な暑さ、と言う言葉は使っていなかった。
子供のサッカーの練習や大会が暑くてできなかったり、延期したり、運動するのも危険な状況になってしまった。
SDGsが叫ばれているがもう間に合わないのかも知れないと不安になる。
暑いから家ではクーラーを付けて命を守るよう朝のニュースで呼びかけていた。ただ、それに伴い、電気の使用量が切迫し節電も同時に呼びかけていた。我が家は28℃で節電しつつ命を守っている。
電気を使えば、当然二酸化炭素は排出され、また温暖化が進むことにはなる。自分の子供達が大人になったらどんな環境になるのだろう。
40年以上生きてきてようやく温暖化が身近なものに感じられてきた。
外での活動が危険な状況になり、地球に今後も住めるのか、子供達が心配になってきた。
40年後、自分は生きているか怪しいけれど、この調子でさらに気温が上昇したら本当に地球に人類は住めなくなる。あと10℃上がって50℃になったら、、、
自分は何が出来るのだろうか。