中には入れなかった。
校舎の配置は昔と変わらないようだった。30年経つのに綺麗な印象があった。
裏門から出た所に「みやこ」という駄菓子屋さんがあったが、見る影もなく、何処が「みやこ」だったのかさえわからなかった。
みやこの向かい側に風呂なしのアパートがあって友達が住んでいたけど、そこは駐車場になっていた。
多分、この路地にみやこと風呂なしのアパートがあったんだと思う。
30年前の時点で古いアパートだった。
そこに住む友達は、風呂は銭湯に行っている、と言っていた。2日に一回と言っていたが多分、それは嘘だろうと思った。3人家族で月に15回銭湯に行けたら風呂のあるアパートを借りることができる。
だが、それをほじくり返したりはしなかった。
本人は必死だったし、こちらもそれほど興味が無かったのだと思う。
焦げ茶色の建物で入ると一階のど真ん中を廊下が真っ直ぐに建物の向こう側まで貫いていて左右両側に部屋が3〜4部屋ずつあった。二階もあり、全部で15弱の部屋があった。
そこには中国人の女の子が住んでいて、背が高く綺麗だった。でも、髪を切って登校しただけで「中国人が髪切った」とクラスの男子が歌っていた。
その子は普段は日本語を話した。お母さんと会話するときだけ中国語で話していた。日本語も中国語もネイティブの発音で、普通に会話しただけでは中国人だとは分からなかった。まあ、外国人に対する差別を感じたのはあの時が初めてだと思う。そこまで高尚なものでもないかも知れない。本人は嫌われていた訳ではなく、寧ろ、人気のあるリア充グループに属していたと。服も汚れた感じではなく、なぜあのアパートに住んでいたか不思議なくらいだ。
今では経済力、人口、科学技術、どれも中国に抜かれ突き放された。こぎみいいなと思う。
アパートは無くなって、そこに出来たと思われる駐車場を見ながらそんな事を回想した。
その駐車場にある塀の向こうから誰かに覗かれている気がした。住宅の多い路地でウロウロしているとあまりよくは無い。
あると思って過ごしていてはいけない。
大人になったら無いかも知れないと思っていれば良かった。