大晦日のガキ使を、笑わないようにしながら観ると年の瀬を感じる。
子供が小さい頃は妻に「お尻を叩くのは教育上悪いから観ないで」と言われ、禁止されている時期もあったけど、最近は観ても怒られなくなった。
初期のころなんて、自分の笑った回数を正の字をつけて数えたりもしていた。
観終わると年が明けていて、寂しい気持ちになりつつ、おもしろ荘を観る。
一人暮らしをしていて実家では紅白を観るので大晦日には帰らず、元旦になってから帰省した時もあった。
一年の締め括り、結構大事で幸せな時間を僕はこうして過ごしている。
夢で逢えたらから観ていた。ハマってしまってダウンタウンの番組や吉本の芸人さんの番組を片っ端から録画した。
テレビ欄は深夜番組からチェックするようになって今でもその癖が抜けない。
松本さんの遺書や松本、浜田さんの読めを読んで、お笑いについて深く考えるようになった。
それに伴い、笑いの感覚が厳しくなって、周りの人と笑うタイミングが合わなくなる事がよくある。今でもそうでちょっと悩んでいる。
僕の話はいい。テレビについて話を戻そう。
最近はテレビ番組でも、昔ほど予算がなくて再放送部分が増えたり、大仕掛けのセットが組め無かったり、同じセットで幾つか企画を考えたり、ホントに大変だと思う。
もうテレビ全盛期ではないので、ダウンタウンの老害というより、むしろ、テレビ番組制作が予算的に行き詰まっている事は感じる。そんな中、出演者や制作の皆さんは制作費、コンプライアンス、違法アップロードなど色々な問題と対峙しながら24時間カメラを回して番組を作って、凄まじい労力だと思う。何でそこまで大の大人が出来るんだ!と刺激を受けたりしている。
自分で撮った動画をYOUTUBEにアップすることなら一人で手軽に出来る時代になったけど、笑ってはいけないは出演者もカメラマンもスタッフも大勢で、それを統括して作るって、やっぱりテレビは凄いなと思う。
ダウンタウンに夢を抱いて、夢に破れてサラリーマンになった人はいっぱいいて、まぁ、自分もそうなのですが、僕は今、極端な話、ダウンタウンを牢屋の中から観ている囚人みたいなイメージでいる。
昔とはテレビ業界の環境は激変してるのに、ダウンタウンは今だに第一線で活躍している。
僕は、気が付いたら就職して家庭を持って、もう完全に別の世界に進んでしまった。とてもじゃないけど戻れない。
凄まじい決断をして来た人達が作った番組、大晦日のダウンタウンの笑ってはいけないぐらいは、ずっと観続けることを許して欲しいなぁ、と思う。ああはなれなかった。悔しいけど。
昨日、2回目の緊急事態宣言が出されたので、心の安らぎを求めているのかも知れない。