zunra’s diary

すぐ変わる街の風景を残す為のブログだったけど、コロナでどこも行けないので思う事を綴ってます

とんねるずのみなさんのおかげです。

とんねるずの人気はホントに凄かったので、忘れられない。

小学校の時に体育館で全校参加のレクをやった。今でいう高校生クイズの様なクイズ大会だ。

その第一問目の問題が

「昨日の"とんねるずのみなさんのおかげです"で仮面ノリダーと戦った怪人はラッコ男である、○か×か。」

全校生徒が大はしゃぎでマルに移動して、ウケ狙いでバツに行った子を

「バッカじゃねーのーー!」

と笑い、はしゃぎ回った。床に転げて笑ってラッコラッコとのたうち回った。

他にどんな問題があったかも、誰が優勝したかも覚えていないけれど、その第一問目だけ鮮明に覚えている。今でもハッキリと覚えている。レギュラー放送の初回が1988年10月13日なので33年も前の話だ。

とんねるずは時代を作っている感じがした。笑いを作ってるのでは無くて時代を作っていた。「何を面白いとするか」がとんねるず前ととんねるず後でガラッと変わった。それからずーっと"みなさんのおかげでした"が終わるまで、30年以上時代を牽引していたし、ゲロゲロ、〜みたいな、ぶっ飛ばすぞ!、超〜。ちょっとまった!、などなど流行り言葉も学校で使っていた。まあ、今も使っている。

木梨さんがオールナイトフジで1500万円のカメラを倒して破壊して問題になった映像はよく見るけど、抗議の電話が殺到したり、雄蛇ヶ池を爆破したり、共演者から訴えられたり、とんねるずの破天荒ぶりは中学生や高校生になるにしたがって憧れになり、カッコ良く見えていた。

大学生になると、"第4学区"という番組で古舘さんと石橋さんのコンビでトークする、ただただトークする番組が革命的だった。1999年4月からやっていたけど、土曜の深夜が待ち遠しかった。古舘さんの事はこの番組を観るまであまり馴染みが無かったけれど、この番組を観て以来、凄い人なんだなとようやく分かった。すべらない話に出てても違和感なく観ることが出来た。

ちなみに、親交のある2人で話す形式の番組が増えたのはこの番組の影響だ、と僕は確信している。松紳はびっくりするぐらい似ててちょっと嬉しかった。

 

色んな番組が終わって、とんねるずのコントありのバラエティ番組は無くなってしまった。けれど、30年以上前のあの時代を作っていたとんねるずの記憶、仮面ノリダーと戦った怪人はラッコ男で、体育館が揺れんばかりに大はしゃぎした記憶、もう戻れないあの頃の記憶が、今も鮮明に頭に残っている。

 

ただ、もうあの時は絶対に来ない。それも分かっての「戦力外」と言う野球人の言い回しが僕らの胸に刺さった。時代を作った人でも、地位は揺らぐと知った。生き馬の目を抜く芸能界の華やかさと残酷さを見た。

 

そして、当時とんねるずを追いかけていた自分らの世代は、仕事で忙しく、家では子育てや家事をするようになり、自分の時間なんて子どもの頃の10分の1で、テレビを観られなくなっていた。

 

そして、テレビについて気が付いてしまった。

テレビというメディアは、ただ受け身に流れてくる情報を観聞きするもので、本当は観なくても良いものを観ている。お腹が空いて無いのに菓子を摘むように、何となくテレビを付け、チャンネルを変え、消す。無くてはならない物ではない。欲望のままに観て、観なくなる。流れた映像や言葉の内容の殆どは記憶に残っていない。歳を取り、経験が増えるほどテレビから得る影響は少なくなってきた。テレビを観られるって贅沢なことだと今は思い知らされている。

 

「タイムトンネル」や「薪をくべる」は観ることもなく終了してしまった。だが、あの頃のとんねるずがいるから、もう自分の中のとんねるずの引き出しがいっぱいな感じで、新しいとんねるずを探さなくなって、アンテナが畳まれたままになっている。

 

小学生の頃、「みなさんのおかげです」を観て、大学生になってもまだ、「第四学区」を観て、どんなエンターティナーよりも長い時間を一緒に過ごさせて頂いたと断言できる。

 

師匠と弟子の関係を表現した「守破離」に近い感覚で、とんねるずという型から入り、その型を破って、大人になり自分が形成されて気付けば離れてゆく。

 

あるいは、親離れする子どもも同じなのかも知れない。

 

書いていて、何だか、凄く寂しい気持ちになるし、何より「戦力外」と言う貴さんの言葉を聞いて、本当に走馬灯の様にとんねるずとの思い出が頭の中を駆け巡った。

 

俺はとんねるずからこんなに離れてしまったんだ。

 

ただ、根底のDNAには刻まれている存在で決して無くて良い訳では無く、忘れる事も無い。

 

全部ひっくるめて、今の自分はとんねるずのおかげです。