zunra’s diary

すぐ変わる街の風景を残す為のブログだったけど、コロナでどこも行けないので思う事を綴ってます

iPhone13購入(14発売前日に購入)

このタイミングで、iPhone13を購入した。

今まで使っていiPhone8はもう5年も経ち、電池の持ちも悪くなり、限界を感じていたので、14が出たタイミングで1つ型落ちの13にしようと前々から思っていた。

256Gのモデルを買ったが、税込で172,480円。なんだか泣けてきた。今まで、本体代はタダで過ごしてきた自分にとっては驚愕の値段で震えてしまった。

5年使えるとして、1年43,000円。円安は今後も続くだろうし、iPhoneはこれが最後かもと思った。ドコモの店員さんこ説明があまり入って来なくて更に動揺してしまった。

機種変って前は心が踊るというか、ワクワク感があったのに、今回のダメージはデカかった。

有給休暇を使って、平日に16:30に店舗の予約が取れて、契約、データ移行を行った。19:30に終わった。店舗は19:00迄なので親切な店員さん達には少し迷惑をかけてしまった。。

で、購入後に、今更ながらこのタイミングで買う事が正解だったのか調べたら、やはり、まずかったらしい。新しい型が出たら半年ぐらいすると型落ちした物が激安になるそうで、4月の期の変わり目がもっとも良いらしい事が分かり、自ら傷口に塩を塗ってしまった。

後半年ぐらいなら待てたのに。

使い心地は、指紋認証がなくなった以外は、ホント最高で、それだけが救いです。電池も減らない。

金額のことは早く忘れよう。

 

ツインリンクもてぎ(正式にはモビリティリゾートもてぎ)

今年も夏休みにツインリンクもてぎに家族で行けた。4年連続で行けたのはとても幸せだと思う。MOTO RACER(モトレーサー)という電動バイクのレースに子供達がはまり、毎年、「来年も来ようね。」

と名残惜しそうに言うので、ここに来ることが毎年の恒例行事となっている。

自分はホンダの株を買って株主優待券までもらっている。

家族でモトレーサーをやって、スタッフの皆さんが記録を褒めてくれたり、アドバイスをくれたり、凄く親切なので本当に楽しい練習場だ。

一番下の子は4年前は初心者の練習コースでかなり長く練習させて頂いて、スタッフの方も電動バイクを乗れるようになるまで付き合ってくれた。そんな子がその日の最速レコードを記録するまでになった。楽しむだけじゃなくて成長を感じられるテーマパークだ。

身長制限のあるアトラクションもこの4年で140センチを超えてみんな乗れるようになった。子供達はチャレンジカートという別料金だけど結構本格的なカートに乗ったりして満足していた。自分はそのカートの迫力に少しびびってしまった。

ツインリンクもてぎにはハローウッズという森の中を散策してアスレチックや昆虫採集ができるエリアもあり、大人の自分も楽しめた。木に止まるカブトムシを見て童心に還れた。子供達はフィッシャーズの宝探しの謎解きイベントで森の中を走り回っていた。自分にはそこまでの元気は無くてヘトヘトだった。謎を解いてリストバンドをもらったら奇跡的に家族全員が赤だった。6色ぐらいあるのに全部赤で、まあ、取り合いにならずに良かった。

夜はキャンプビレッジのログキャビンに泊まった。ちょっと歩いた所のホテルの大浴場も使えて,バーベキューも出来て、バーベキューコンロも借りれるので至れりつくせりだった。水場はお湯が出るし、トイレはウォシュレットだし、ビギナーでも全く問題無し。

翌日も朝から炭火で焼いたパンを食べて大浴場に行ってモトレーサーに直行した。モトレーサーは午前中が空いてるのでとにかくダッシュさせられる。2日目になると大分疲れが溜まっているので、他のアトラクションも回って昼過ぎからキッチンカーで色々食べたり、お土産コーナーを見たりのんびり過ごした。

多分、疲れた親達の事を考えて作られたと思うのだか、巨大ネットの森SUMIKAというアトラクションにヨギボーのクッションがいっぱいあってごろんと寝られるエリアがある。40分入れ替え制のエリアなので一眠りするにはちょうど良くて、とても助かる。

今年もいっぱい楽しませてもらったけど、子供達は体が大きくなりモトレーサーの自己ベストは更新出来なかった。身体が軽い方がタイムが出やすい。

「もう限界なのかな。」

と呟いていた。

さすがに4年連続なので、来年はどうしようか、優待券を小学生のいる親戚に譲ろうかと考えている。遊園地で遊ぶ事から一歩進んだ体験をさせてあげられるからツインリンクもてぎはうちの子達の成長を後押ししてくれたなと感謝している。周りの身体を動かす事が好きな子や乗り物好きな子に勧めてみようと思う。

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本格的なチャレンジカート


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ハローウッズで見かけるカブトムシ


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サーキットが一望出来るが、大き過ぎて何処までかよく分からない


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モトレーサーは多分一番人気のアトラクションで大人から自転車にやっと乗れるぐらいの子供まで乗れて、体重の軽い子供の方が慣れると断然速い。

 

https://youtu.be/RiQ2U6JC-F8

YouTube チャンネルに動画を上げました。サーキットの練習風景を観客席から撮りました。

 

また来られると良いな。

 

0.02億

最近、株の話を子供達とするようになった。ちょっとずつ興味が湧いてきているようで、実際にやってみたいと言うようになって来た。ただ、自分が始めたのが40代になってからなので、未成年の取引の仕方は今一よくわかっていない。調べてあげないとなと思う。

株式を持ち始めて思うのは、スタートが早いに越した事はなく、また、長く続ければリスクが減る、配当金を受け取る度にリスクが少しずつ減る。という事である。つまり、もっと早く始めていれば良かったのにと後悔ばかりしている。

貧乏から抜け出すのは凄く時間がかかるとつくづく嘆いている。情け無い!にしても、すこーしづつ、特に最初はちょびっとずつしか増えないし、なんとかショックが度々起きてガクンとマイナスになって諦めそうになる事もあった。

自分はもう、約5年ほど運用して来た。日本株がやっと160万円を昨日超えた。そして、今年から米国株を始めてもうすぐ日本円で40万円になろうとしている。つまり、まだ、200万迄は至っていないというのがホントのところである。

まあ、タイミングとして現時点で円安(1ドル135円前後)なので、円換算の米国株の評価額はちょっと怪しい。ぬか喜びな感が否めない。

自分の年30万円のお小遣いのほとんどを株式投資に使っている。初年度は10万円で次の年から25万円ずつ、合計110万円を投資に使っている。お酒もタバコもやめた。かなり厳しいが在宅勤務なので家を出ずに過ごせば意外となんとかなっている。使える小遣い年5万円で頑張っている。

 

子供と株式投資の話をして、現在の投資金額を聞かれて、

「だいたい200万円だね。5年ぐらいやってるからね。」

と言ったところ

「200万円じゃない。0.02億だ!」

と言われた。

それ、大事だ。どっかで使おう!

使ってやってくれると親として嬉しいです。

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日本株、ようやく160万。

 

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↑米国株は、、もうすぐ40万。

合わせて0.02億。まであとちょっと。

きびしー!

 

【所有中の日本株

モーニングスター

スカラ

ホンダ

ソフトバンク

日軽金HD

商船三井

カプコン

ヤマダ電機

 

【所有中の米国株】

アマゾン

B&Gフーズ

BHPグループ

ダウ

IBM

コカコーラ

ルーメンテクノロジー

マルケタ

ニューウェルブランズ

ワンホールディングス

ファイザー

SFL

AT&T

トロントドミニオンバンク

ユニリーバ

ベライゾンコミュニケーションズ

エクソンモービル

 

【所有中の米国ETF

FCVT

HYLS

QYLD

SDIV

 

山口にて、その2

もう、自分の世代ではなく、今は子供達が主役になった。寂しさよりも嬉しさがあるなぁと思う。

従兄弟の子と自分の子が話をして、会って1日で下の名前で呼び合っている。年上の子が色々教えたり、面倒見たり、自分達の昔の姿をそこに見ている。下の子は遊んでもらって凄く嬉しそうだった。

昔、従兄弟の中で一番年下だった自分も今思うと色々教えてもらったり面倒見てもらっていた。こんな感じだったのだろう。と今の子どもたちを見て感慨深かった。

子供達が腕相撲をして遊んでいて、下の子が負けて泣いた。でも、もう一回を繰り返して、上の子が疲れて負けて下の子が大喜びした。何だか気を使ってくれるようになって、成長を感じた。

自分が下の子の時は泣きじゃくったら疲れて寝るまで泣いて手がつけられなかったし、自分でも気持ちを立て直せなかった。下の子も偉いなと思った。コウモリが逃げた時とか、まさにそれだった。

みんなで花火をやった時は、一本ずつ花火を配っていたが、真ん中の子が最後の一本を取った時、一番下の子にサッと渡した。取り合って喧嘩したりしても、まぁ良い思い出になるけど、みんな成長していると思った。

子供達はあまり虫採りには行かなかった。オオスズメバチとか採りに行ったら大変だけど、昆虫採取の方法やカブトムシスポットを伝授できたら良かった。

次に会えるのはいつか、ちょっと分からないけど、また会えたらいいなと思う夏休みだった。

仕事や家庭で、自分の人生はハッキリ言って上手くいってないなと、今悩んでいるけれど、それでも頑張って何とか耐えられているのは、昔山口で自由に外を走り回り、陽の光を浴びて、汗をかき、真っ黒に日焼けし、スイカを食べて、虫採りして、本当に人生を充実させた時間があったからだと思う。あの頃に生かされている今の自分がいる。子供の頃は戻ってはこないけど、何とか思い出したり、忘れないように話したり書いたりしながら人生を過ごしたい。と、ちょっと大それた事を考えたりしている。

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羽田空港


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↑踏切とオレンジのガードレールと茶色の瓦の家

 

https://youtu.be/pJN7fTtz_T4

↑帰りに乗った新幹線のホームから撮った新山口駅がとても大きく感じたので、動画で撮りました。

山口にて

2022年8月6日、羽田から飛行機で山口宇部に行った。宇部は母の実家で、もう15年も行っていなかった。夏休みもそんなに長く取れず、山口は遠く、なかなか足を運べなかった。本当は毎年行きたいと思っていた。

小学生のころ、両親は毎年夏休みは山口に連れて行ってくれていた。それがどれだけ大変かなど、自分は知る由もなかった。今になって、飛行機、新幹線、宿、食事、観光、移動手段などなど、めちゃくちゃ大変だったと気付いた。それで結局、自分達で行くのに15年もかかってしまった。結局従兄弟や叔父さん叔母さんが宿やレンタカー、秋芳洞への手配をみんなやってくれて、自分達は行くだけで良い状態にしてもらっちゃって、感謝で涙が出た。お昼の代金は誰が出してくれたのか、ちょっと申し訳ない。

なかなか行けないにしても甘え過ぎてしまった。

自分は虫採りがとにかく好きで、カブトムシやクワガタを採って飼ったり、大田区東糀谷の団地では見られないオニヤンマやカミキリムシ、巨大なキリギリスを標本にした。今思うと、殺してしまうのは可哀想だが、当時はクラスのみんなや学校の先生に見せたくて、罪の意識があまり無かった。挙句の果てにはオオスズメバチまで標本にした。結構命懸けだけど、みんなに見せたい思いがそれほど強かった。

標本を作って学校の廊下に展示されると人が集まったが、女子は口を聞いてくれなくなって、ちょっと期待と違った反応でがっかりした。

山口では従兄弟がいつも虫採りに付き合ってくれた。自転車借りて、大きな川を越えて、山を登り、カブトムシスポットを巡った。木を蹴ったらボトボトっと音がして、カブトムシやクワガタが落ちて来た。あと、木の下の土を手で掘るとコクワガタのメスに指を挟まれて、力強くて凄く痛かった。木の隙間をドライバーやピンセットでほじってヒラタクワガタなどの平べったいタイプのクワガタも良く捕まえた。

親戚の家で過ごす夏休みは真夏の大冒険だった。

そんな夏休みのある日、叔父さんがコウモリをくれた事があった。みんな忘れていたけれど、自分は克明に記憶している。デザートを入れるような小さな白いタッパの蓋が、多分ライターで炙って大きめの穴が開けられていた。叔父さんが笑顔で小学校低学年の自分にそれを渡してくれた。カブトムシだと思って中を除くと黒くて蠢く生き物がいた。穴が大きめだったので、そこから覗き込んだ。小さな目のコウモリがいた。

居間に行って絨毯の上に出してもあまり暴れなかった。少し弱っていたのかもしれない。近所て見つけたアシナガバチの巣が丁度虫かごにあって、蜂の子をコウモリに与えたら凄くよく食べた。

そして事件は起こった。

コウモリは蜂の子を食べて元気になり、いきなり暴れて飛んだ。居間の大きな窓が5センチぐらい空いていて、その隙間目がけて飛んだ。羽根を広げると20センチ近くあったが、窓にぶつかる瞬間に羽根を縦にしてすり抜けて、川の向こうの山まで飛び去った。トップガンみたいだった。

一瞬の出来事だった。取り返しの付かないことをしてしまった。誰が最後に窓を開けたかと言って暴れた。多分、自分だと思う。ショックで泣きじゃくって、疲れて眠った。

コウモリの超音波は優れたソナーだと知った。

 

その後、中学一年の時に祖父が亡くなり、その時、初めて冬の山口に行った。水遊びをしたり、タイコウチを捕まえた川には昆虫がいる気配は無かったが釣りをして楽しんだ。従兄弟、兄、自分の3人で釣りに行った。大量ではなかったが何匹か釣れた。

近所の人がいっぱい来てお葬式の手伝いをしてくれていた。山口はご近所の繋がりが強いなと感じた。自分は知らない人がいっぱいでちょっと困ったが母親の名前を出すと直ぐにみんな自分が東京から来た子だね、と分かってくれた。当時はすでに春日部に引っ越していたけど、わかりやすかったから良しとして、ハイと言っていた。

その後はもう、大分ご無沙汰してしまった。大学を出て就職前(9年ぶり)と結婚の報告で妻と(さらに7年ぶり)に行った。そして今回は結婚の報告から15年も経っていた。自分も40代半ばである事を考えると死ぬまでにあと何回も行けないと変な逆算をしたりした。

15年ぶりと分かったのは前に来た時に姪っ子とタイムカプセルを埋めていたからで、2007年10月と日付が書かれていた。書いた姪っ子も大人になっていて、自分はもうおじさんになってしまった。

大きくなったらブランド物のバッグか時計を買ってあげると書いていたけど、財力が、、、あまり多くないお小遣いをあげるだけで精一杯だった。15年ぶりなのに、もっといっぱいあげられたらなぁと、ちょっと情けなかった。

就職の前に山口に行った時、叔父さんが帰り際に3万円くれて、自分はそのお金でテレビを買ったのを思い出した。もう地デジ対応もしてないので使えないけど、何だか捨てられなくて押し入れの奥に取ってある。あの3万円は助かった。姪っ子が就職する際はそれぐらい渡したい…。

 

ちょっと長くなってしまったので、一旦ここまで。

読んでくれた皆様、ありがとうございました。

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↑左の山までコウモリは飛んでった。


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↑お宮へ続く道。


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セミ採りをしたお宮


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秋吉台の駐車場の料金回収箱


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秋芳洞千枚田


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秋吉台


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朝焼けの宇部駅

電子レンジが壊れたら

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2005年製の電子レンジが突然止まり、動かなくなった。

17年間よく働いてくれたけど、突然動かなくなると、結構パニックに陥った。

電子レンジのない生活を中学生ぐらいまではごくごく当たり前に送っていたのに、今では考えられなくなっていた。

子どもの頃、電子レンジは無かった。中学生になりようやくうちに電子レンジがやって来た。そもそも、あまり中学生が欲しがる家電でもないので、来た日のことは全く覚えていない。来るまで食べ物をどうやって温めていたかも記憶にない。

一人暮らしをするようになり、電子レンジの凄さを思い知り、17年間当たり前に使い、ありがたみも忘れてしまっていた。

失って初めてそのありがたさを思い出させてくれた。

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これが壊れたせいで、朝昼ご飯の準備も出来ず、夏休みに家にいる子どもにマックに行ってもらって何とかしのいだ。

エアコン、冷蔵庫、洗濯機、電子レンジと順番に壊れている。

次は、炊飯器が怪しい。

 

温暖化を体感して怖くてたまらない

自分が子どもの頃、30℃を超えると

「夏が来た〜!」

と、虫取りが出来るので喜んでいた。嬉しかった。夏は一番好きな季節だった。

自分も歳を取り40半ばになった。30℃が夏の基準値だったのはもう40年近く前なのだと思うと、温暖化と歳取った自分にゾッとする。

 

2022年現在、6/25だと言うのに

伊勢崎40.2

桐生39.8

館林39.4

青梅38.5

八王子38.1

 

40年前の自分はどう思うだろうか。体温を超えている連日の猛暑が6月から始まっている。

危険な気温、危険な暑さ、と言う言葉は使っていなかった。

子供のサッカーの練習や大会が暑くてできなかったり、延期したり、運動するのも危険な状況になってしまった。

SDGsが叫ばれているがもう間に合わないのかも知れないと不安になる。

暑いから家ではクーラーを付けて命を守るよう朝のニュースで呼びかけていた。ただ、それに伴い、電気の使用量が切迫し節電も同時に呼びかけていた。我が家は28℃で節電しつつ命を守っている。

電気を使えば、当然二酸化炭素は排出され、また温暖化が進むことにはなる。自分の子供達が大人になったらどんな環境になるのだろう。

40年以上生きてきてようやく温暖化が身近なものに感じられてきた。

外での活動が危険な状況になり、地球に今後も住めるのか、子供達が心配になってきた。

40年後、自分は生きているか怪しいけれど、この調子でさらに気温が上昇したら本当に地球に人類は住めなくなる。あと10℃上がって50℃になったら、、、

自分は何が出来るのだろうか。