zunra’s diary

すぐ変わる街の風景を残す為のブログだったけど、コロナでどこも行けないので思う事を綴ってます

上島竜兵さん

20代半ばまで上島さんの面白さに気付けていなかったと思う。有吉さんが再ブレイクして、竜兵会の話をサンドリでしてくれて、ようやく気付き出したのだと思う。

有吉さんが上島さんに説教する感じの流れで、上島さんが嬉しそうで、有吉さんの師匠であり、お父さんなんだなぁと、憧れた。

竜兵会、芸人さんを引き寄せる人だから有吉さん以外にも、息子達がいっぱいいただろう。自分も子供の頃から観てたのだから、遠い親戚に、勝手ながら入れて欲しい。「〇〇やっちゃダメだよ」ってフリの台詞は高校生の頃から使わせてもらっていた。「どうぞどうぞ」も何回やったか分からない。くるりんぱはあまりやらなかったかも。

後輩からもイジられるって大変だと思う。人間はプライドや自意識がの塊なのに、イジられることを美味しいと言う価値観は自分にとって革命だった。もちろん、後輩芸人の皆さんとは家族や親子ぐらいの距離感で接しているという事だから、もうこれ以上無いってぐらいの大きな信頼関係の表れで、それが上島さんと土田さんや有吉さんひとりさんから滲み出ていた。どうすれば生まれも育ちも違う他人とあんな関係築けるのか、出川さんもそうだけど、その凄さに自分は大人になるまで気付けなかった。

社会人になって、会社で後輩が出来て、上島さんって凄いんだなって思っても、自分は上手く立ち回れなくてまだ困っている。親子みたいな関係を作るって、お互いに覚悟がいるし、相手を時には自分より愛せないとダメだと思う。

確か「怒り新党」で上島さんが「有吉が売れて、呑みに誘い辛くなっちゃったんだよ」と言って、有吉さんが「飛んでいくに決まってんだろ!」と言っていた。テレビで堂々と公言した。あの時の上島さんの歯に噛む笑顔と有吉さんの返しがホント素敵すぎだった。うわー!こりゃ勝てないと思って、笑いながら、もうなんだか泣けた。(記憶でちょっと美化してたらごめんなさい。だけどそんなやり取りが確かにあったんだ)

竜兵会の皆さんが、「自殺なんかしやがって馬鹿野郎!」と言っても、あるいは「今までありがとう。」と言っても、涙で何も言わなくても、自分はまた泣く。

第一線で人に見られる仕事を続け、還暦を越えた上島さんは、もう限界だったのかも知れない。生き切ったのだと信じたい。命を擦り減らして笑わせてくれて、ありがとうございました。

自分ごときでは遠く思うだけしか出来ないし、なんと言っていいか分からないけれど、自分は上島さんを偉大だと思っている。

老眼

ご飯を食べる時に、違和感があって気がついた。食べ物を口に運ぶと近づいて来た箸の先の食べ物がぼやけている事に気がついた。その後、じっと食べ物を目に近づけて、離して、また近づけてを繰り返した。で、20センチぐらい離さないと焦点が合わなくなっていた。

老眼が突然やってきた。掌を何度も近づけたり遠ざけたり。今日は治ってたりしないかななんて思ってやってみるけど、やっぱ近づくとぼやけてがっかりだ。

いっそのこと、こんな無駄な確認はやめたらいいのに、1日4〜5回やっている。

老眼鏡を買おうか、老眼鏡をかけると老眼は更に進むのか、そもそも老眼に負けた気もするし、ためらっている。そこまで苦でもなく、スマホや本もまだ問題無く使えるのでもう少し様子を見る事にする。

40代になって一番ショックだったかも知れない。

歯医者さんの言葉

自分は今、歯の治療中で大体2週に1回、歯医者さんに通っている。

通っている歯医者さんに言われて驚いたことがある。

「あなたはタバコを吸ってたでしょ。」

ギクリとした。

何だか知らないが、「バレたか!」と思った。

もう、やめて15年も経つ。自分でもちょっと忘れてらぐらいで、そういえばそうだったと気付かされた。

多分、喫煙期間は5〜6年で、多くて1日1箱(20本)。普段は10本吸うか吸わないかだった。ヘビースモーカーでは無いと思う。

「歯茎の色で分かります。」

との事だった。

あと、見えないけど肺の色も悪くなってると思うので、コロナには充分注意しないと重症化すると、やんわり言われた。

15年経ってもタバコの爪痕が残っている事にショックだった。お金も大分使って不健康を買って、何年経っても逃れられない。

若い人にはタバコは本当にやめてほしい。自分みたいにならないで欲しいなぁ。

興味本位で、犯罪では無いけれど、取り返しのつかない事をしてしまった。

 

ちなみに禁煙は「禁煙セラピー」という本を読んで、事の重大さに気がついてやめることが出来た。

ありがとう「禁煙セラピー」!

 

まあ、とにかく後悔して歯科医院を後にした。

 

その足で、出来る事なら、過去の自分に歯茎を見せに行きたい気分だった…

ディズニーシーを守りたい

また連休が終わってしまった。。

昨日、1/10はディズニーシーに行った。曇り空で何とか雨も降らずすごせた。成人の日ということもあり、振袖やスーツを着きた新成人が多く、華やかだった。

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オミクロン株が流行りだしたので次はいつ行けるか分からないなと思いながら、自分達は園内を歩いた。コークオンのアプリで見たら25,000歩も歩いていた。

ちょっと寂しく感じたのは、園内の様子で、コロナ前とは大分違っていた。食べ物を売るブースが凄く少なくなっていた。その為、チュロスやポップコーン一種類のブースにも30分以上並んだり、家族で手分けして食料調達しないといけなかった。コロナ感染のリスクや人件費の削減でキャストの人数が大分減っていたのだと思う。でも、キャストの皆さんは必死で、初めは戸惑い、少しだけ嫌な気分にとなったけれど、

「コロナなのに来られて良かったね。」

と子供が言ったので、開園してくれたありがたさの方が自分達は強かった。

列に並ぶ時、大声で話す若い子達が気にはなったり、どうしでも間隔を詰めてしまう人達もいて家族を守るため自分が盾にならねばと思ってちょっと離れて後ろの人達をブロックしたりしていた。消毒液があるところではこまめに消毒したので、自分が感染して無い事を願うばかりだ。

キャストの方々も間隔を取るよう注意してくれるが、いかんせん人数がコロナ前より大分少ないようで、特に暗くなるとなかなか目が行き届かず、テンションの上がった人などはどうしても声も大きくなり、家族連れにはちょっと困った。自制しつつ行動する事は難しい。

今回、一番変わったと思ったのはファストパスが無くなり、スタンバイパスというのをアプリで取らないと並べなくなった事だ。時間が来たらアプリを立ち上げアトラクションを予約し、そのスタンバイパスの時間に並ぶ仕組みになった。ファストパスを知ってしまった人にはちょっと不便に感じるかもしれないが、2時間以上待つアトラクションは無かった。人数制限され1時間程度でどのアトラクションも乗れた。慣れてしまえばこちらの方が便利に感じた。

ただ、スタンバイパスを取り逃がすとスタンバイパスが無くなってしまい乗れなくなるので、お目当ての乗り物は早目にパスを取らないといけない。

今回はまず、ソアリンのスタンバイパスを取った。朝一で取ったのに、乗れたのは夕方の17時過ぎだった。新しいアトラクションで凄まじく人気がある。

ソアリンは乗ってない人も多いと思うので具体的な事は書けないけども、40代のおじさんが乗っても声を上げるぐらいの驚きと感動があった。ディズニーの凄さに打ちのめされた思いと、コロナ禍でディズニーの経営が厳しいと言うのは肌で感じたけど、なんとかここを失いたくないという思いとが入り混じった複雑な感情が込み上げてきた。

レストランやお土産物屋さんも入場に予約が必要になったり、不便な事は増えたのは事実だけど、キャストさんの明るい接客や過敏な動き、笑顔で鼻マスクを注意する巧みさなど、素晴らしい所は残さないといけないなと思った。

長男はもう中学生になるから、成長してお土産は値段を気にしてくれたり、あまりおねだりをしなくなって、ママが欲しがるアイテムを探してくれたりしていた。いい子に育ったなと思う。

次男はまだ小さいから、カチューシャを買っていたが、

「10パーセントは自分で払う!」

とこちらも気を使い支払いを志願していた。

コロナ禍で配るようなお土産は買わなくなったし、自分達もお土産を買わなくなったので、夜ご飯も園内で食べて、少しだけ売り上げに貢献して帰った。

ディズニーリゾートがずっと無くなりませんように。

ちなみに、ディズニーシーは20周年で、自分は開園当時に大学の卒業旅行と称してディズニーシーに男3人で行った。大学卒業から20年かと一人しみじみ感じた。

 

人生であと10回、ディズニーリゾートに来られるだろうか。

あと、5回ぐらいかな。

 

今回乗ってたアトラクション

タートルトーク

ザ・レオナルドチャレンジ

インディージョーンズアドベンチャー

ソアリン

フライングフィッシュコースター

レイジングスピリッツ

 

ちなみに使ったレシートはこちらで、フォンダンショコラチュロス500円×4本はレシートを無くしました。

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2021-2022 あけましておめでとうございます

年末、M-1は錦鯉が猿を捕まえるネタで優勝を飾り、最高のお笑い番組のはずが、涙で終わった。

凄いものを見たと思った。頑張るおじさんがとてもカッコよくて、素敵だなぁと思った。でも渡辺さんはほぼ同世代で自分もおじさんなんだよなぁとちょっと焦った。

晦日は毎年観ていたガキ使の笑ってはいけないが今年はやれらなかった。やらなかったというか、やれなかったと言った方が正しい。放送倫理・番組向上機構BPO)で痛みを伴う笑いを審議対象とする事になったので、バットでケツを叩くガキ使はやれなくなった訳だ。

冗談みたいな話だが、本当の話で、人気コメディアンを大量に投入した新番組の「笑って年を越したい」は7.2%と惨敗した。前回のガキ使は17.6%だったそうで、無惨すぎる。かく言う自分もザッピングしながら年を越したが、日テレは観なかった。格闘技を見てしまった。紅白も観なかった。

本当はガキ使を観て笑った回数を正の字付けて観たかったのに、残念で年を越した気がしない。おじさんの楽しみを奪わないで欲しいけど、時代がそうなのも分かる。仕方ないか。

ただ、こんな平和な年越しを出来たのは幸せなのだと思う。コロナ禍でオミクロン株が広まり、経済的に困窮している人も多くいる中で自分はどうにか生活出来ている。給与は下がったし、職場は人も減り辛い状況になったけど、何とか家族と共に生きている。あと何年この状況が続くかは分からないが無事でいられる事は幸せなのだと思う。

初日の出はまた千葉の中里海岸に見に行った。初日の出と言ってもまあ、2日なので正式には違うけど、うちは混むから2日に行く事が恒例となっている。

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今年は雲が丁度切れていて、水平線から上がる瞬間が見られた。綺麗だった。
↓動画もアップ済 3:20で太陽出現。

https://youtu.be/QRKx4YOZvIs

 

あと、1月2日なのに結構多くの人が見に来てた。

太陽が出る瞬間を長いこと待ったけど、その後、あっという間に朝焼けが終わって日が昇った。

もうあんなに長い所に太陽が、と気付いた時はゾッとした。1日ってあっという間で人生もあっという間に終わるんだと気付かされた。

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帰りに雲の切間から光が差して、それがまた龍の様だったので写真を撮ったけど、写真にするとあまり良く撮れて無かった。

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今年は良い年になります様に。

 

THE W 2021

正直に言えば、結果にあまり納得出来ていない。と言うか、徐々にオダウエダを納得出来る様になった感じがする。ただ、昨年のM-1の漫才論争のように、別に皆んなの納得なんてどうでもいい。いいんだぜ、オダウエダのお二人!おめでとう!!

ちなみに、自分は天才ピアニスト派。オダウエダにはごめんなさいだが、天才ピアニストのコントは感銘を受けた。刺さったというかやられたと言うか。2本とも良かったので、「こりゃ優勝だ!」と思った。

天才ピアニストを初めて見たけど、2本目は特に面白かったので、優勝だと思った。1本目は内容は素晴らしかったのに、最後の暗転の後に二人かフラフラ歩いて終わった所がカメラに映っていてそれが凄く素人臭く見えて、マズいぞ!と焦った。まあ、そもそも本社から来た社員が話に乗る流れがちょっと違和感があったので、もっと長尺なら良いのにと思ってしまった。

2本目の暖かい落ちは最高だったTHE Wのようなお祭りの賞レースに合ってて素敵だった。

Aマッソは1本目、違和感なく段々と怒りがぶつかり合って、受話器上げるとタメ口システムが発動した時はちょっと鳥肌が立った。そこからの、なすなかにし(^^)。どうだ!と言わんばかりの構成で、しかもあの短い時間にしっかり収まり、凄みを感じた。違和感なく世界に入れた。2本目、ちょっと違った。1本目の方が良かったと思った。司会のフットボールアワー後藤さんが感動したと言っていたけれど、自分は違った、何だか笑いとは別の方向に行ってる気がした。演技力とかワードセンスとかAマッソはもともと凄いのに、プロジェクションマッピングで台無しだった。画像が出るタイミングに合わせて間を取ったり、上に投影されてる画像を気にしたり、しゃがみこんだり、間も動きも制限されて見ている自分も気になって引き込まれなかった。談志師匠のイリュージョンってやつに入らずに終わってしまった。飛び道具は使わない方が断然面白かった。それがまた不思議だった。真っ向勝負で負けない芸人なんだからそれてして欲しかったのだと再確認した。素直なコントに引き込んでもらいたかった。

審査員の方々にリスペクトの精神を重んじてはおりますが、友近さんと田中さんは優しさが出てしまって、自分はちょっと危険だと感じてしまった。田中さんも友近さんも凄いお二人なのは重々承知ではあるが、投票される側は、例え素人でも、ファイナリストとしてテレビに出て実力ある方から票をもらって、ある意味人生や価値観がガラッと変わると思う。そういう場ではあえて投票しない優しさもあると思う。温情で票をもらって自分の実力を勘違いして、お笑いの実力者達が鎬を削る芸能界に入っては命を落としかねない。実力の無さに打ちのめされたり、視聴者からの誹謗中傷を浴びたり、命の危険があるのだ。

勿論、友近さんや田中さんのコメントを最後は聞けなかったから何とも言えないが、ちょっと腑に落ちないままでいる。審査員なんて誰もやりたくない仕事を引き受けていることは本当に尊敬するし、ご意見を聞きたい。自分に見えない何かをお二人は感じて票を投じている事は間違いない。

一番話を聞きたかったのは笑い飯の哲夫さんだ。なぜオダウエダに!オダウエダに何を見出したのか、本当に聞きたい。オダウエダの真の力を自分は今後、嫌でも研究することになる。

カニのご本人登場のくだりは光ってたし、そもそもカニのストーカーのキャラも凄かったけど、本当に良かったのだろうか。

説明が多く、棒読みで、コロッケを食べるマイムも違和感だらけで、ちょっと若さ故の痛さも感じてしまった。ワザとそうして演じている感も相まって、若く見えてしまった。

まだ早い!と心の中で思った。あの不条理、気味悪い小道具、カニの絵、キャラクターも才能はバチバチ感じた。ただ、もう少し熟成されたら凄い事になる予感がした。

でも、オダウエダはもうチャンピオンになってしまった。。若さ故、なかなか周りの声が耳に届かなくなり、ここで頂点になってしまったら惜しいと感じた。今後もあの不条理劇の道を突き進んでくれるだろうか。意見してくれる大物芸人さんといっぱい絡んでまだまだ進化してくれたら嬉しいなぁ。

あと2年ぐらいオダウエダをTHE Wの舞台で観たかった気がする。それで優勝したら良いなと勝手に夢想してしまった。

今年はAマッソが優勝、来年が天才ピアニストと来てくれたら個人的には最高だったと勝手ながら思っている。

天才ピアニストはこの場で初めて観られて良かった。ファンになってしまった。2本とも良かった。全く知らなかったからここで出会えて良かった。

色々考えさせられるけど、THE Wが、なんだか熱くなれる大会になって来て良かった。Twitter見てると、みんなもそうなんだと思えるような発言がいっぱいで良かった。炎上して安心するという、何だか変な気分だなぁ。

 

それにしても、哲夫さん、何故なんだ…

 

もう苦悶の表情で審査する7人は侍に見えた。

 

あと、ちょっと余談で、素人代表はちょっと、可哀想というか、朝倉未来後藤祐樹ストリートファイトを思い出してしまった。M-1でも昔あったけど、やはりそこはプロ同士で決着つけて欲しかった。

ヒロちゃんの他界

昨日、母親と父親がうちに来た。孫に会いに来たのだが、あいにく長男は制服の採寸で留守で次男と自分だけが対応した。

その際にヒロちゃんが11月に亡くなっていた事を、サラッと話た。世間話の一部といった感じだった。親達も70代、人の死についてサラッと話すから怖い時がある。。

ヒロちゃんは母親の姉で自分の伯母だ。享年77歳だった。腎臓が悪かったらしい。もう、10年以上入院していた。

ヒロちゃんは母親の実家の山口県で暮らしていた。だから、なかなか会う機会は無かった。自分に子供が出来て、仕事もあると最近は山口県に行く事が出来ないでいる。本当はまた行きたいと思ってはいる。

ヒロちゃんは足が悪く山口の実家で生活していた。

「足が悪いけー、あまり外に出んのよ。」

と言っていた。自分も小学生のころ夏休みに遊びに行くとヒロちゃんと少し話した。

近くの神社に虫採りに行きたいが、ヘビが怖いからついて来てくれと頼んだら、渋々了解してくれた。一緒に神社まで行ったのを覚えている。ヒロちゃんは杖をつきながら舗装されて無い田んぼの畦道や川沿いの道を一緒に来てくれたけど、

「遅いよ!早く!」

と小学生の自分は心無い事を言ってしまった。でもヒロちゃんは笑って着いてきてくれた。

ヒロちゃんは結婚しておらず、ずっと独り身で実家暮らしだった。足が悪くなってからは家からは出なくなって、仕事もしていなかったと思う。なのに、夏休みの終わり、甥っ子の自分に

「何か欲しいものはあるかね?こーちゃろーかね?」

と言ってくれた事があった。

自分は

ゲームボーイのカセット!5,000円ぐらいする!」

と言ってしまった。またまた心無い事を、と只々悔るばかりだ。

「気持ちだけでいいよ。ありがとう。」

なんて言えたら最高だったのに、、、

ヒロちゃんが自由に出来るお金がどれ程あったかなど、考えが及ばなかった。この歳になって、自分もリストラを経験し働かない焦りや心苦しさが身に染みて分かるようにはなった。だか、子供の頃は大人はお金を持ってて当たり前ぐらいに思ってしまっていた。肩身の狭いヒロちゃんを思いやれなかった。ずっと家から出られないヒロちゃん。その立場になって考える想像力を少しでも持てていたら、どんなに良かったか。あの時はごめんねという機会はその後来なかった。

「おばちゃん、歩けんから可笑しいやろ?」とヒロちゃんが笑いながら言った事があった。まだ小学生の自分には何となく首を振って

「そんな事ないよ。」

と言うのがやっとだった。

笑顔で、そんな悲しい事を言うヒロちゃんを少し怖く、壊れている、ヤバい、と感じた。

 

いや、本当は謝る機会はあった。おじちゃんが亡くなった時、自分は中学1年でその時、ヒロちゃんに会っている。お葬式の時にヒロちゃんが号泣していた姿が目に焼き付いている。ただ、中学生になった自分は従兄弟と過ごしたり、近所の人達と話をして「ずんちゃん、大きなったねー!」と言われたりで、ヒロちゃんに声をかける事は無かった。話す時間は作ればあっただろうに。まさかおじちゃんの葬式がヒロちゃんと会う最後のチャンスだとは夢にも思っていなかった。ヒロちゃんは多分、お焼香の時だけ出て来て、あとはずっと部屋にいたと思う。歩けないので火葬場には行けなかった。部屋を訪ねておけばよかった。ヒロちゃんの部屋は家の奥の方にあった。当時の自分は号泣姿を見てヒロちゃんを少し避けていたのかも知れないし、ヤバいと感じた小学生の思いが遠ざけたのかも知れない。

ヒロちゃんが入院した事を知ったのは大学生の頃だった。

その後、自分は就職して忙しくなって、滅多に山口県まで行けなくなる。山口県に家族で行ける事の有り難みをようやく悟ることになる。最後に行けたのは15年前、結婚報告で、妻となんとか行く事が出来た。ただ、結婚報告の時はもうヒロちゃんは病院にいたので、妻はその存在すら知らない。

 

「ヒロちゃんは学生の頃、成績が良かったんよ。」

と死んだおばあちゃんは生前、小学生の自分に言っていた。その言葉に、足が不自由で働けず家にいたヒロちゃんを、おばあちゃんはしっかりと自慢の娘と思っていたんだなと感じた。ヒロちゃんがどんな人生を歩んでいたか自分には分からないし、ヒロちゃんを語れる人も少なくなっている。甥っ子の自分に会う時は必ず笑顔で

「ずん君、おおきゅうなって!」

と嬉しそうに言ってくれた。

あまり、してあげられる事は無いけど、自分にはヒロちゃんの思い出があるという事と、こうしてブログに記す事で、あの時の罪滅ぼしというか、今となっては供養になればと願っている。

まあ、ブログに書くのは、ちょっと、いい迷惑かも知れないけれど、何かしらあなたを忘れずに残しておいてあげたいなと思う。

 

付け加えるなら、ヒロちゃんのお葬式の写真を父親が見せてくれて、遺影が大分おばあちゃんでびっくりした。77歳だから当たり前だけど、20年前のイメージのままだったのでかなり驚いた。しかも父親がLINEでそのお葬式の写真を何枚か送ってくれた。

LINEでって、なんか時代だなぁ。と思いつつ、写真は大切にしようと思う。

 

固有名詞の入って無いこの写真なら大丈夫かな。(親戚からご注意をあり次第削除しますm(_ _)m)

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