zunra’s diary

すぐ変わる街の風景を残す為のブログだったけど、コロナでどこも行けないので思う事を綴ってます

ヒロちゃんの他界

昨日、母親と父親がうちに来た。孫に会いに来たのだが、あいにく長男は制服の採寸で留守で次男と自分だけが対応した。

その際にヒロちゃんが11月に亡くなっていた事を、サラッと話た。世間話の一部といった感じだった。親達も70代、人の死についてサラッと話すから怖い時がある。。

ヒロちゃんは母親の姉で自分の伯母だ。享年77歳だった。腎臓が悪かったらしい。もう、10年以上入院していた。

ヒロちゃんは母親の実家の山口県で暮らしていた。だから、なかなか会う機会は無かった。自分に子供が出来て、仕事もあると最近は山口県に行く事が出来ないでいる。本当はまた行きたいと思ってはいる。

ヒロちゃんは足が悪く山口の実家で生活していた。

「足が悪いけー、あまり外に出んのよ。」

と言っていた。自分も小学生のころ夏休みに遊びに行くとヒロちゃんと少し話した。

近くの神社に虫採りに行きたいが、ヘビが怖いからついて来てくれと頼んだら、渋々了解してくれた。一緒に神社まで行ったのを覚えている。ヒロちゃんは杖をつきながら舗装されて無い田んぼの畦道や川沿いの道を一緒に来てくれたけど、

「遅いよ!早く!」

と小学生の自分は心無い事を言ってしまった。でもヒロちゃんは笑って着いてきてくれた。

ヒロちゃんは結婚しておらず、ずっと独り身で実家暮らしだった。足が悪くなってからは家からは出なくなって、仕事もしていなかったと思う。なのに、夏休みの終わり、甥っ子の自分に

「何か欲しいものはあるかね?こーちゃろーかね?」

と言ってくれた事があった。

自分は

ゲームボーイのカセット!5,000円ぐらいする!」

と言ってしまった。またまた心無い事を、と只々悔るばかりだ。

「気持ちだけでいいよ。ありがとう。」

なんて言えたら最高だったのに、、、

ヒロちゃんが自由に出来るお金がどれ程あったかなど、考えが及ばなかった。この歳になって、自分もリストラを経験し働かない焦りや心苦しさが身に染みて分かるようにはなった。だか、子供の頃は大人はお金を持ってて当たり前ぐらいに思ってしまっていた。肩身の狭いヒロちゃんを思いやれなかった。ずっと家から出られないヒロちゃん。その立場になって考える想像力を少しでも持てていたら、どんなに良かったか。あの時はごめんねという機会はその後来なかった。

「おばちゃん、歩けんから可笑しいやろ?」とヒロちゃんが笑いながら言った事があった。まだ小学生の自分には何となく首を振って

「そんな事ないよ。」

と言うのがやっとだった。

笑顔で、そんな悲しい事を言うヒロちゃんを少し怖く、壊れている、ヤバい、と感じた。

 

いや、本当は謝る機会はあった。おじちゃんが亡くなった時、自分は中学1年でその時、ヒロちゃんに会っている。お葬式の時にヒロちゃんが号泣していた姿が目に焼き付いている。ただ、中学生になった自分は従兄弟と過ごしたり、近所の人達と話をして「ずんちゃん、大きなったねー!」と言われたりで、ヒロちゃんに声をかける事は無かった。話す時間は作ればあっただろうに。まさかおじちゃんの葬式がヒロちゃんと会う最後のチャンスだとは夢にも思っていなかった。ヒロちゃんは多分、お焼香の時だけ出て来て、あとはずっと部屋にいたと思う。歩けないので火葬場には行けなかった。部屋を訪ねておけばよかった。ヒロちゃんの部屋は家の奥の方にあった。当時の自分は号泣姿を見てヒロちゃんを少し避けていたのかも知れないし、ヤバいと感じた小学生の思いが遠ざけたのかも知れない。

ヒロちゃんが入院した事を知ったのは大学生の頃だった。

その後、自分は就職して忙しくなって、滅多に山口県まで行けなくなる。山口県に家族で行ける事の有り難みをようやく悟ることになる。最後に行けたのは15年前、結婚報告で、妻となんとか行く事が出来た。ただ、結婚報告の時はもうヒロちゃんは病院にいたので、妻はその存在すら知らない。

 

「ヒロちゃんは学生の頃、成績が良かったんよ。」

と死んだおばあちゃんは生前、小学生の自分に言っていた。その言葉に、足が不自由で働けず家にいたヒロちゃんを、おばあちゃんはしっかりと自慢の娘と思っていたんだなと感じた。ヒロちゃんがどんな人生を歩んでいたか自分には分からないし、ヒロちゃんを語れる人も少なくなっている。甥っ子の自分に会う時は必ず笑顔で

「ずん君、おおきゅうなって!」

と嬉しそうに言ってくれた。

あまり、してあげられる事は無いけど、自分にはヒロちゃんの思い出があるという事と、こうしてブログに記す事で、あの時の罪滅ぼしというか、今となっては供養になればと願っている。

まあ、ブログに書くのは、ちょっと、いい迷惑かも知れないけれど、何かしらあなたを忘れずに残しておいてあげたいなと思う。

 

付け加えるなら、ヒロちゃんのお葬式の写真を父親が見せてくれて、遺影が大分おばあちゃんでびっくりした。77歳だから当たり前だけど、20年前のイメージのままだったのでかなり驚いた。しかも父親がLINEでそのお葬式の写真を何枚か送ってくれた。

LINEでって、なんか時代だなぁ。と思いつつ、写真は大切にしようと思う。

 

固有名詞の入って無いこの写真なら大丈夫かな。(親戚からご注意をあり次第削除しますm(_ _)m)

f:id:zunra:20211130104742j:image