zunra’s diary

すぐ変わる街の風景を残す為のブログだったけど、コロナでどこも行けないので思う事を綴ってます

昔のテレビの思い出

何処の国だかわからないが、アフリカや東南アジアの先住民族の家族を数日間日本に招待して日本の文化に触れてもらい、反応を見たり、感想を聞いたりするテレビ番組が、10年ぐらい前まで良くあったけど、最近見なくなった。

時代のせいかも知れないけれど、彼等の反応に考えさせられる事や忘れられない場面があった。

忘れられない場面。

タロイモしか食べられないと言う先住民族のお母さんは日本の料理を受け付けず、数日間水しか飲めず困っていたら、日本の家族のお母さんが山芋を蒸してくれて、それならば食べられると先住民族のお母さんが笑顔になった。

先住民族のお父さんがお風呂で頭を洗い、泡の付いた頭を湯船につけて流そうとして、日本のお父さんが慌てて止めるた。

先住民族の長男が植木を手入れするチェーンソーに見とれて、「アレは便利だけど、うちの村にはいらない。」と言った。

多分、何がなんだかわからない所に連れてこられて驚きの連続だったと思う。それを見て楽しむ視聴者って、結構下品な気もするけれど、記憶にしっかり残っているから良くも悪くもメッセージ性は強かった。

今はモラル的にダメなのかもしれないが、彼らが村には帰ってどんな思いを周りの皆さんに伝えて、村でどんな事が起きたかが気になる。電気もガスもない村の人が文明の力に触れて、何が起きたか。最早彼らにしか分からないけれど、幸せなことばかりでは無いと思う。

最近、日本ではあえて文明の力を捨てたキャンプが流行っている。サバイバルに近いキャンプの番組を観ると、あの先住民族の長男の事を思い出す。何だか、あの番組を観てた時は発展している日本は凄いなと、ちょっと奢りがあったけれど、今は先住民族の生活に憧れている。キャンプが流行っていると言うことは、自分だけではなく、皆んなも同じなのかもしれない。

日本は間違っていた、とまでは思わないが見直す時期に来たとは思う。自分の場合は解放されたいと言うか、逃げたいと言うか、しがらみが増えて動けなくなったなと感じる。

自殺者の増加、少子化、日本経済の低迷、度重なる災害、そして世界的なコロナの蔓延。日本の社会と先住民族の村はどちらも長所短所があり、どちらが優れているとは言えない。

だが、どちらの社会で生きたら幸せと感じ笑顔でいる時間が長いかで競ったら、圧倒的に負けていると思う。

チェーンソーを要らないと言った長男の言葉が、当時は本当は欲しいけど遠慮したのかと思ったけれど、「そこまでしたらいけない。」と心の何処かで分かってたのかと今は思う。

 

あと、世界の色々な民族を訪ねる番組、またやってもらいたいなぁ。