zunra’s diary

すぐ変わる街の風景を残す為のブログだったけど、コロナでどこも行けないので思う事を綴ってます

小林賢太郎さん

初めてラーメンズを観た時は衝撃だった。

高校2年の時に松本人志の遺書を読み、お笑いの難しさを知り、どっぷりお笑いに浸かっていた。深夜番組やラジオばかりでいわゆるゴールデンの時間帯から離れていった。新しいお笑いってなんだろうと素人のくせに勝手に考えていた。

浪人してから大学生になって、NHK爆笑オンエアバトルで初めて、ラーメンズを観てしまった。この番組は最初に出場者の点数が発表される。観たことも聞いたこともないラーメンズと言うコンビが出場者の中でダントツ一位の凄い点数を出していた。会場がどよめいていた。

その時点で、テレビの向こう側の自分はこれは事件だとワクワクしていた。凄い事が起こると思い、現に起きた。

腹を抱えて笑ったか、どんなネタか、何だか凄過ぎて良く覚えて無いけど、衝撃を受けて笑う事が出来なくて、おー、と唸らされたのを覚えてえる。

新しい笑いだった。もうダメだ、勝てないと思った。心の何処かにあった芸人になれたらなぁなんて大学生の甘えが一瞬で吹き消された。

でも、ラーメンズはなかなかテレビに出なかった。オンバトだけがラーメンズを観られる唯一の場所だった。ライブに来てくれたお客さんにこそネタを見てもらいたいと雑誌のインタビューで読んで、オンバトは空気感がライブに近いから出てると言っていた。確か、Quick Japanクイックジャパン)で読んだと思う。あの雑誌は必読だった。

大学生だったので渋谷の奥のシアターDに行っている友人もいた。

お前もどうだと誘われたけど、自分は諦めたからそこまで出来なかった。追いかけるファンの一人になるのが悔しくて恥ずかしくて、とてもじゃ無いけど当時の自分は行けなかった。

行って目の当たりにしとけば良かったと、大人になってから更に悔やんでもいる。

 

オリンピックの総合演出を手掛ける、正直、嬉しくて心が踊って、やっぱりそうなるよな、と勝手に頷く自分がいた。コメディアンが認められて嬉しかった。

 

あのコントは「過ち」なのだろうか。

ホロコーストに対する認識は多くの人に正しく理解してもらわなければならないが、コメディアンがコメディ作品の中で使ってはいけない言葉なのだろうか。謝るしか出来ない状況にされた小林賢太郎さんが公の場で活動出来なくなるなんて事はないように守らなくてはならない。

コントの中に悪の言葉を入れて、さらにそれを正す言葉を入れるのも啓蒙と呼べる筈だ。

そもそも、喜劇は演劇の一部で、悲劇やサスペンスやホラーやSFなどある中の一ジャンルだ。演劇は芸術として認められ人々から愛されている。その喜劇と言う芸術の中に残忍なキャラクターとして登場した人物が「ユダヤ人大量虐殺ごっこ」という台詞を言い、それを正す流れがあった。これを揶揄って言葉で片付けて批判するのは悲し過ぎる。コメディアンはもっと胸を張って正当性を主張しても良いと思う。言葉が狩られて行く怖さも感じる。

他のジャンルの演劇(悲劇やサスペンス)で悪役の「ユダヤ人大量虐殺ごっこだ!」と言う台詞に対して、主役が「そんな事させるか!」と言っても問題にならない。

コメディが軽んじられてると言う現実が突きつけられた。悔しいよ小林さん。

ラーメンズ解散後、世界的な大活躍の場だったのに、俺は悔しくて堪らない。お笑い見続けたご褒美ってあるんだなと笑いの神様にお礼を言いたいぐらいだったのに。笑いが世界に認められたと思ったのに、この仕打ちは一体なんだ。

ラーメンズは、小林賢太郎さんは、全コメディアンは、クソ恥ずかしいけど、今でも俺の夢なんだ。