zunra’s diary

すぐ変わる街の風景を残す為のブログだったけど、コロナでどこも行けないので思う事を綴ってます

Corneliusといじめとあの頃の状況

高校の昼休み、誰かが放送室からCorneliusのWHAT YOU WANTを流して、それにクラスの何人かが気付いた。

Corneliusこと小山田圭吾さんはフリッパーズギターを解散して、1〜2年経ってから活動を再開したと記憶している。その間、「猿の惑星を観ていた」とサラッと雑誌のインタビューで言っていた。

「誰がCornelius掛けたんだろう。見に行こう。」

と言って放送室に行ったけど、誰もいなかった。

復帰して直ぐのアルバムはフリッパーズに近いけど、尖っててカッコ良かった。またアルバム出したら買うんだろうなと思った。

小山田君は当時の中高生からは、破天荒で生意気だけど勉強が出来るヤツ、みたいな感じで認められてる存在だった。

ファッションも僕らを引きつけた。小山田君のエイプの指輪も探しに原宿に行くと言うオシャレに目覚めた同級生がいた。

テレビでチラッと見た時も態度があまり良くなかったのを何故か鮮明に覚えている。あのふてぶてしくて媚びない態度に憧れを抱いていた。

そもそも、テレビや雑誌に小山田君はあまり出てなくて、出たら情報をキャッチしたいわゆるサブカル好きの友人達が教えあっていた。表に出ているのを見つけたら嬉しくなった。今は小山田さんの記事が全部いじめ関連で、見つけると反射的に反応してしまうが、何だか辛いし悲しい。

自分が良いと思ったアーティストが世界でも活躍して、色々な所でCorneliusの名を見る様になるのはなんだか勝手に誇らしかった。

当時は、芸能人が破天荒なエピソードを話すと喜ばれて雑誌は売れたしテレビも盛り上がっていた。万引きや喧嘩自慢、器物破損、盛り上げるために芸能人が法に触れる話をしていた。皆んなだんだん麻痺してそれらの話をアリと捉えてテレビで放送してしまっていたり、雑誌に載ったりしていた。今は行儀が良く、聖者の様な人が求められるが、当時は破天荒にベクトルが向いていた。今にして思えば間違った価値観だった。当時サブカル好きの若者だった自分達はその間違った価値観の一端を担ってしまったと思う。過激になるテレビを観て、雑誌を読んで、自分はやってないから悪くないと言う顔で傍観し神輿を担いでいた。申し訳ない気持ちで一杯になる。

正直、小山田圭吾さんのいじめの話はフリッパーズの頃から聴いてた人は皆んな知ってると思う。クイックジャパンで後日談までやっていた。当時から批判を受けていたけれど、謝罪もせず静観している姿も良しとさえしていた。

自分を悪く見せたい時期は誰にでもあると思う。そんな時期に作られた記事だから真に受ける事もなく、少し痛々しいなぐらいの感覚で冷笑して流していた。白日の下に晒されて批判が集中することを深く考えずにいた。

こんな風になってしまったのは当時の間違った価値観の時代と、ファンとして憧れて囃し立て、彼の記事は取り敢えず読んでいた自分達のせいなのかも知れないと思う。過激な事を言わせてしまった。作り出す音楽の凄さで全肯定してしまっていた。

ファンの僕らこそが未熟だった。

 

いじめの怖さは、怨みだ。多分一生許されないという事だ。被害者は死ぬまで忘れないし、親や兄弟姉妹まで苦しめてしまい被害者になるのでどこまでも続く。そして、辛い記憶や悪い記憶ほど残る。

あの頃はここまで表立って小山田君が活躍するとは思ってなかったし、ここまで聖者の時代になるとも思っていなかった。

特に知的障害者のご家族にこの事件は辛過ぎる。自分が小学生の時、知的障害のある子が怪我をして、お母さんが学校に来た事があった。

その時にお母さんの口から出た言葉が忘れられない。

「誰かにやられたんですか?」

と先生に尋ねているのを、目の前で聞いてしまった。今でもトラウマになっている。その子は自分で頭をぶつけてしまい流血して包帯を巻いていた。流石にあの悲しそうなお母さんの問いかけは辛かった。障害のある子供を持つ親御さんの気持ちを痛感した。

色々な力が働き、小山田さんは姿を消すかも知れない。もう表には立てないかも知れない。

ただ、小山田さんは過去は背負わないといけないし、全てをひっくるめて小山田さんだ。今回、彼は謝罪の言葉を初めて口にした。長年見ていたけれど、今回の謝罪は驚いた。もう君づけじゃない。人は成長し刻々と変わる。良くも悪くも色々な経験によって日々生まれ変わる。それを認めなければ世界は終わりだ。謝罪し伝えていく小山田さんがいるなら今後も応援したい。

自分が出来ることは、この話を子供達に伝えて考えて貰うことだと思う。自分達の世代の間違いや経験を見てもらい、同じ過ちを犯さないように伝えなければと思う。

いじめられたら大人に声をかけて助けを呼べ。逃げていい。いじめる側に飲み込まれそうな時も大人に声をかけてくれ。状況を変えるんだ。切り開く勇気を出せ。それも状況を変えた事になる。

いじめてしまったら、それは犯罪だ。いじめをした人は傷害罪などの罪に問われ刑務所に行き償う。心や身体に危害を負わせたら慰謝料を支払う。時には一生養う分のお金を親が家を売って作るし、それでも足りないこともある。何よりいじめた人は犯罪者として一生生きなければならない。これは消えない。

子供達に同じ過ちを経験させないように、傍観者ではなく本当に向き合わなければいけない。