zunra’s diary

すぐ変わる街の風景を残す為のブログだったけど、コロナでどこも行けないので思う事を綴ってます

青い鳥

3Fは男の子向けのおもちゃがいっぱいで青い鳥に着くと階段を駆け上がってた。店員の方を怒らせてしまった事もあった。すみません。

3Fの奥にエアガンコーナーがあって、その店内のレイアウトが僕らをワクワクさせた。最上階の一番奥の壁一面に銃がいっぱい並んでいて、大人の秘密基地に忍び込んだ感じだった。

初めて買ったワルサーP38ルパン3世の銃)のエアガンは安くてカッコいいけどあまり弾が飛ばず、飾って眺めていた。懐に入れて出掛けると気分が昂ったりした。

エアガンコーナーの手前にはゲームコーナーがあって、100円で30分、ファミコンが使えるコーナーがあり、20本ぐらいの色々なゲームを選んで遊べた。自分はファミコンを持ってなくて、青い鳥でドラクエを初めてやった。コマンドの入力が上手く出来ずドラクエって敵に攻撃するのが大変だなと思った。恥ずかしくて周りにも聞けず、めちゃくちゃ慌てた。あと、みんなでカセットを共有するので、他の子が作った冒険の書を使えるのだが、それを、消してしまった事があった。おどろおどろしい音と「冒険の書が消えました。」と画面に出た時はさらに焦った。まぁ、RPGを30分やってもサワリしか分からなかったけれど、ファミコンを持ってなくて学校で蚊帳の外だった自分には凄くありがたかった。

ゾイドのサーベルタイガーの暗い赤を買ったのも青い鳥だ。ワインレッドと言う言葉を初めて覚えて使いまくった。組み立て、動かして、友達と見せ合って、ゾイドの時代が訪れた。好きなロボットペットを持ち歩く感じで放課後に友達の家や公園で遊んだ。よく砂場からゾイドのパーツが出土した。

ミニ四駆のコースは、ファミコンコーナーより手前の3F上がってすぐの所にあったと思う。少し記憶が曖昧だけど、1時間幾らかでコースを走らせていたと思う。階段の所でパーツ交換とかしてたと思う。コロコロでダッシュ四駆郎が始まって、ミニ四駆にもどハマりした。

テレコマ戦士スナックマンのおもちゃは青い鳥でしか無くて、親に頼んで買ってもらったのを覚えている。たけのこの里のロボットでオレンジジュースの機関銃を装備していた。何処にも売ってなくて青い鳥で見つけた時は嬉しかった。

青い鳥の一番最初の記憶は幼稚園に通ってた頃、ルービックキューブやスネークキューブ、ダイヤブロックについて親に聞いたときだった。物心ついたときには家にあって、何処で買ったか聞いたら「青い鳥」と言っていて、行ってみたいなぁ、と憧れの場所だった。30年前は東糀谷から一番近いおもちゃの専門店だったと思う。いいところだった。

 

2年前の夏、自分は糀谷の町にノコノコと興味本位で30年ぶりに糀谷駅で下車して町を散策しようとしていた。駅は高架に変わり、自分がどこにいるのかさえ分からなくて驚いた。青い鳥を見た時は声をあげそうになった。そこから地図がパッと広がった感じがした。

 

5月5日に何故だか自分のブログの訪問者が急増した。自分は理由がわからなかった。それをブログに記した所、Tomtomさんという方がわざわざコメントをしてくれて、その日に青い鳥が閉店した事を知った(Tomtomさん、コメントをくださり本当にありがとうございました。正直に記憶を辿りありのまま忖度無く書いているので、自分はともかく読んでくれる方やそこに住む人にもリスペクトの無い嫌なコメントも頂くので削除も大変だったり、コメントが来るとドキッとしてしまう状況ですが、青い鳥の閉店の情報をお伝え頂きありがとうございました。色々な事を思い出し失って初めて存在の大きさに気付き、少し茫然としてます。)

 

もう無くなってしまうなんて、30年で世の中が大きく動いた。ダイエー(正しくはマルエツ)が無くなりマンションになり、人が増えたかと思ったけど、街の商店街よりネットで最安値を調べて買い物をする人が増えている時代だ。自分もそうだ。少しでも安く買うと勝った気になって調子に乗ってブログに上げたりする。

 

色々思い出すし、色々考えさせられた。街の商店街はどうすれば存続できるか。少子化でネット社会で、おもちゃ専門店には大変な時代だ。それを受け入れたり抗ったり、どちらも正解でネットも実店舗も存続する道は無いのだろうか。今は糀谷を離れて千葉にいるけど、結局のところ、地元の商店街を少しでも使って、仕事の邪魔をしない程度にコミュニケーションを取る愛想のいいお爺になりたい。

 

あと、かまたマガジンでも、自分のブログを少し参考にしてくれているっぽい所があり、こんなに嬉しい事は無かった。昔の3Fのくだり。自分のブログを読んでくれていたら感涙に咽ぶこと極まれり!

https://kamatama.jp/rl/47/

↑コレは糀谷民は、お願いですから読んで下さいm(_ _)m

 

最後に、「青い鳥」関係者の皆様、創業者様。長い間、お店を維持して下さりありがとうございました。後は、自分はもう街を離れた部外者ですが、「ここに青い鳥って言う玩具屋があってさー、初めてエアガン買ったよ。」などと語り継がせて頂きます。40代になり、自分にはあの時の自分と同じ歳の子がいるまでに歳をとりましたが、青い鳥で遊んで笑って、階段を走ってご迷惑をお掛けした事実は何も無くなりません。すみませんでした。

店内で友達や家族とおもちゃを選んで遊んだ事を思い出すだけで自分と息子がなんだか同い年になった気分になれました。自分にとっては街の玩具屋さんってそういう場所なんです。カラーで鮮明な記憶が僕にはあります。

あとは青い鳥を思い出すたびに子供にこの思い出を話します。

64年間、お店を守って頂きありがとうございました。

 

コメント返答欄

Tomtom さん

素敵なコメント!ありがとうございます!

30年前、東糀谷で同じ時を過ごした方にこの文章が届いたら幸せだと思って書いてました。

自分にとっても人生で一番思い入れのあるおもちゃ屋さんでした。

あの街で子供時代を過ごした人は「青い鳥」と聞けば「おもちゃ屋さん!」と脳内で紐付いていて、「青い鳥に行く!」と言えば「いいなぁ!」と羨ましく思ってました。

青い鳥は僕らのおもちゃ屋さんの代名詞。東糀谷まで轟くって凄いお店だったんだなと改めて痛感しました。

まだ閉店の実感湧かないです。。

青い鳥について教えて頂きありがとうございました!