30年前、東糀谷にいた頃はよく父親と釣りをした。
引き潮の午前中にゴカイという海のミミズみたいな生き物を取り、午後、潮が満ちて来たらハゼを釣った。
引き潮の時はホントに汚い海の底が見えた。自転車、タイヤ、金属の棒などが錆びつきヘドロまみれだった。
転がってる岩をどかすとダボハゼという黒くて小さな魚がいたり、蟹がいて楽しかった。
北前堀の先に水門があり、その先が護岸工事されていて当時は釣りが出来た。今は柵が出来ていて入ってはいけないようだった。
これは羽田中学の裏側で首都高の下。
ここもフェンスで入れなくなっている。
海は黒い。そう思ってた。大人になって沖縄に旅行して飛行機で羽田から帰って来ると東京モノレールからこの海が見える。沖縄の青い海を見た後で車窓からこの海を見て、自分の生まれた所だと気付いた時はショックだった。
沖縄の人には見せたく無いなと思う。工業廃水が流れているだろうし、不法投棄も凄いと思う。イタチみたいなデカいドブネズミもいっぱいいて、子供の頃、石を投げると余裕でよけて睨まれて、怖くて逃げ出した。
そんな中で釣りをしてハゼを釣った。竹の安い竿で、ウキとオモリと針だけのシンプルな作りのもので簡単に釣れた。
持ち帰って天ぷらかフライにして食べた。体に害は無いのか。よく分からないが今のところ後遺症はない。でも良くないとは思う。
当時、小学2年ぐらいだったと思うけど、同級生が釣った魚を他の釣り人に売っていた。友達が直談判で物を人に売るって、結構衝撃的だった。結局売れずに持ち帰っていた。たくましかった。貧乏を跳ね返す強さを感じた。
そいつは小さな電気屋の倅だったけど、多分、店は流石にもう無いと思う。場所も名前も定かでは無いのでどうにも出来ない。店名だけでも覚えておくとか、日記を付ける几帳面さがあれば今のモヤモヤを大分軽減出来たと後悔している。
大田区は電気屋の倅、部品屋の子供、駄菓子屋の倅、ネジ屋の娘もいた。ネジ屋の娘は家業を理由にイジメられた。俺も混じっていた。悪いことをした。大田区のネジ屋のレベルを知らなかったし、娘養って食べていけるネジ屋って凄いお父さんだと思う。
近くに羽田中学がある。
当時は荒れていた。ハイスクール落書きというドラマが天空橋駅の辺りで撮影されていて、羽中がモデルだと思っていた。
あまり撮ると捕まるかも知れないと思い、外観をチラッと撮ったけど、窓ガラスが一枚も破れて無くて、ちょっとガッカリした。これも少子化で暴れても直ぐに鎮圧されてしまうのか、とにかく綺麗な校舎だった。
羽中の生徒に窓ガラス声を掛けられて、近くに来るように言われて物を投げられる事が何度かあった。今ではフェンスと目隠しで道路からは校庭が垣間見えるだけになっている。
この学校に通うのが嫌で、引っ越せてラッキーだった。今なら通えるけど、当時は評判悪かった。
30年前の話を蒸し返して悪いけど、悪い評判ほどバズるし、悪い記憶ほど残って消せない。
コメント回答欄
力さん
度々すみません。当時の自分の思いの丈をありのままに書きたくて、3年前の文章とはいえ、羽中を大分悪く書いてしまい、現役世代の方々、先生や運営されている方々には申し訳ないです。
33年前は酷かったけど今は綺麗で驚いたと浦島太郎が言っているだけなので、何卒お許しください。
それにしても、あのマンモス団地に隣接する中学校も子供が少ないんですね。自分は中学に上がる前に引っ越したのですが、東糀谷小が3クラス(約40人学級)なので、中学は近くの小学校からも集まり6クラスぐらいあったと記憶してます。
壁にスプレーで落書きや割れた窓ガラスを何度が見て、当時小学科生だった自分は恐ろしくて仕方がありませんでした。
自分は3年前に一瞬しか見てませんが、当時とは比べ物にならないぐらい綺麗で驚きました。
ただ、子供が減ってしまったのは正直残念です。